ご覧になる方によっては

言い訳じゃないか!

そんなお叱りがあってもおかしくないお題です…


少なくとも私は

よーく考えると

私にとって大切にしたいことの優先順位を思うと

当たり前か〜汗うさぎ

って妙に納得してしまった


1健やかな自分の心身

2家族

3仕事

4勉強


子どもたちにとって

「親」は私だけ

私にとって

「子どもたち」は目の前の子どもたちだけ

子どもたちの成長はあまりに早い


働き詰めだった頃

大切なことをもしかしたら

見落としていたかもしれないと思うと

時間に融通が効く今

落ち着いて様子を見ることができてることはすごくラッキーだと思う


1日24時間は

誰にでも平等に与えられている

人はざっくりと

①8時間 睡眠

②8時間 仕事や家のことなど

③8時間 自分のための時間と家族の時間

自分のための時間は

身支度や寝るための準備

朝食や夕食も含まれる


だとしたら家族の時間って実は4時間あるかどうかはなのかなぁ、改めて感じた。

勉強は働きながらとなると時間投下しにくい現実があるなと感じた。

増やそうと思うと①を削るか②を削るか。


40代も中盤になってきて、体調のこともあることを差し引いても思った以上に集中力も持たないことを悟らずにはいられない。

①②を削ったけれどそれに引き換えるマイナスのものもあるから、私はもしかしたら長期戦に罪悪感を感じていることを手放すことが結局一番早道なのかもしれない。


最近ちょっと感じたこと。


家族の合格祈願と縁結び祈願に福岡県ならではのあの場所へ行った時の写真↓





少し重たい内容かもしれません…


社会復帰を目指して

書道クラブを立ち上げて

春が終わる頃からある士業の事務所で短時間働いて…←イマココ


割と順調な方だと思う。

家庭の事情を知った上でかなり柔軟な働き方をさせてもらえることがすごく助かることだけれど、

仕事をしている途中に少し疲れを溜まってきて集中力が切れる時に、前職で日常的に言われていた「使えねぇ!クソが!」などの人格を貶すような言葉が頭の奥からこだましている感覚が起こることがあって。

ツラいなって思うことがある。


こういうところが私の治りきっていない傷のかさぶたがはがれる瞬間なのかもしれない。

こんなにも時間がかかって…

負う傷の大きさが自分の思った以上なのだろうか?


一方で

傷を負ったからこそ人の痛みに気づきやすくなる。

そして、寄り添える言葉をかけやすくなるのかもしれない。


これも自分で、受け入れるのはとてつもなく辛いものだったけれど、何気なく発した私の言葉で誰かに届く何かがあるといいなぁ、ふとそんなことを思った。



洗濯して畳む、私の大好きな作業だけれど

こんなことをされたらやっぱり悲しいし、何年経っても変わらないからと勇気がいったけれどストライキを起こしてみた。


こんな感じで

年頃の子なはずなのに…

子ども部屋は洗濯物🧺が積まれては崩れ

そんなのをもう何年も毎日繰り返してて

悲しすぎますショボーン

言っても聞かないしついには屁理屈や反抗され始めたので…


ささやかな抵抗

洗濯をして畳むまでを自力でやってもらうことにしました。

どんな気持ちで洗濯をして畳んでいたか

それによって得られていたものを理解してほしいなぁえーん