雨マークだったハズの日曜日。ところが、天気はピーカン[みんな:01]

毎年恒例の萱野国老法要に行って来ました。場所は白金の興禅寺にて。

馴染みの数名と待ち合わせしてから寺へ。御住職が代替わりしてました[みんな:11]御住職にとって初めての萱野国老法要なので、滞りは無いけれど初々しい[みんな:10]

今回の参加はいつもより多くて賑やかでした。萱野国老法要は見性院忌と並び数少ない会津会主催の法要で、見性院忌が本堂改修工事で実施出来てないので、会津会唯一の法要。

最初の読経迄はいつもの通り、その後の墓参からいつもと違う展開に[みんな:09]
いつもは、殿様を先頭に銘銘墓参するのですが、今年は御住職にとって初めての萱野国老法要だったので昨年までの流れは知らないので、わざわざ萱野権兵衛・神保修理等の前で読経までしてくださって、殿様はじめ皆で墓の前で読経終了迄待ってから郡寛四郎の墓へ移動するコトに。有難かったですね~(^_^)いつもは最初の読経終わったら「後は御自由にどうぞ」的にお終いなのに、今回は更に直会迄御住職は参加して下さって[みんな:02]

今回は殿様はとてもお忙しそうで、一通り挨拶終わった所で、次の予定の時間となり先に御退出。とてもお疲れになってそうで心配ですが…[みんな:03]

今回は知人の横山主税や広澤安任、町野主水の御子孫以外に、会津藩の船乗り等を研究されている方など初めての参加の方も結構いらっしゃいました。

直会終了後、恵比寿駅で大佗坊さんと待ち合わせをして皆で二次会[みんな:07]へ。
場所はいつもの魚真で。総勢7名楽しい飲み会で、更に三次会[みんな:08]へ(笑)
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とりあえず、当面の予定が色々決まりました(笑)来月には前日夜発[みんな:06]の桑名日帰り+α旅行。桑名で兄弟展やっているらしく[みんな:05]、それを見るツアーです(笑)強行です(笑)
その後、日光日帰りと、都内富士山登頂(笑)も決まりました[みんな:04]

前にどっかで見たんだよなぁ…と思って、出典を忘れるのは良くある話で、この話も偶然本棚を整理していたら出典を発見したので、忘れないうちにココに…。



酒井直温氏の『懐旧録』によると


『(前略)当時御逝去ノ方ノ御名前を憚り、御逝去ノ日を以て何日様ト申シタノデ(中略)三月廿八日様(余等ノ御父上様ノ御兄上様、即チ御養父奥之助直方様)ノ御頃、若クハ七月十三日様(余等ノ御父上様)ノ御造リナサレタノデハアルマイカト思ハレル。(後略)』


と、このいつの頃からかは不明ながら、少なくとも幕末のころには、亡くなった人物の名前を憚り、亡くなった月日で呼んでいたようである。


他にも、庄内藩では長男以外は正妻を武家からとる事が認められてなかったり、やはり藩によって色々風習が違うのだなぁと。何かで庄内藩のそういった風習が載っている史料無いのかしら…。

中々暑くなりきらない半端な気候で風邪ひきやすいので、風邪ひかないように気をつけよう…。

ついに本棚購入。今迄の本棚で入りきらなくなっていたので、これで一安心。

本棚購入した帰りに新しく出来た『星乃珈琲店』へ。スフレパンケーキが名物らしいのでそれを。ふわっとしてて美味しかったです。でもちょっと高いなぁ。シンプルなスフレパンケーキで500円ちょい、上にブルーベリーとクリームが乗ると700円超えるので、ふつうの食事並。3人で3000円超えるは中々…。
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ちなみに、話は随分飛ぶのですが、ブログのサイドにある庄内合同本『七星旗 白雲の間を~』ですが、3人での合同誌なのですが、他2方は完売。私の在庫も残り僅少となってます。再版の予定は現在ありませんので、よろしくお願いします。

久しぶりに会津幕末歴史検定の答え合わせ。

【慶応2年2月、会津藩は江戸三田にある会津松平家の菩提寺・実相寺が、ある事に使用される計画を同寺より知らされ、その中止を幕府に請願しています。何に使用される計画だったのでしょうか?】

答え→①外国人の宿所

港区三田にある会津藩の菩提寺の一つ「実相寺」には、三代正容の末子「容章」の墓や、家訓の四ヵ条目「婦人女子之言一切不可聞」の元を作らせた元になったともいう「お万の方」の墓や、容保様の早世した次女「泡玉院」の墓、他にも幾つかの会津藩士の墓が残されてます。

月虹徒然日記


さて、この寺に『外国人の宿舎に』という話が持ち上がります。実際、この寺の近くの長岡藩や松山藩などの菩提寺である「済海寺」もフランス総領事館になっているので、何も珍しい話では無いのですが、会津藩では大反対。


『藤岡屋日記』(京都守護職日誌三巻)には、その旨が記されてます。

  会津藩願書

三田実相寺之儀は代々肥後守菩提所ニ御座候処、此度外国人旅館可被仰付哉之趣、同寺申出候処、右ニ付而は夫々御取締も可有之、不作法等は仕間鋪候へ共、万一霊屋向不浄等請候趣之義有之候而は、霊前へ対し迷惑は勿論、殊二肥後守在京中之義、旁以当惑仕候。尤同寺之儀は肥後守一手普請之場所ニ而、至而手狭ニ有之、迚も旅館とハ相成不申候間、何卒外寺院へ被仰付候様仕度奉願候。若願之通難被仰付候義ニも御坐候ハゞ、肥後守へ被申聞否申越候迄、御猶予被成下度、此段奉願候。以上。

                 松平肥後守内

二月八日                松(柏)崎 才一


これは、試験前に梶原平馬を調べてた時に見つけて覚えてたので良かった♪




【文久3年1月5日、一橋家当主の徳川慶喜も松平容保の入京に遅れて入京し、ある寺院を宿舎とました。その寺院はどれか?】

答え→②東本願寺


「続再夢紀事」によると、

廿六日、一橋中納言殿京都に着せらる。旅館ハ東本願寺也。


とある。


この問題は解らなかったのだが、偶然試験より前に、鳥羽伏見で敗れた会津藩士達は東本願寺系の寺院を頼って逃げたのでは?という推察の話をしていて、またお西さんは新撰組が「西本願寺は長州藩と通じているのでは」と疑い屯所を移転させたといういきさつがある以上、お西さんは無いだろうと。なので偶然東本願寺にしてみたのですが、当ってて良かったd.heart*

忘れないうちに……

2014年1月17日~2月17日迄


鶴岡の致道博物館で
「酒井玄蕃・酒井調良・黒崎研堂 三兄弟の遺墨」
という企画展があるそうな[みんな:01]

まさかの2年続けて冬雪だるまの鶴岡行くコトになるとは冷や汗

ついに、GW最終日です[みんな:01]

朝一にネイルサロン行って、昼ごはんは「だし茶漬け えん」[みんな:04]で。ヘルシーで好きなんですヨ[みんな:02]
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食後、友人の出産祝い[みんな:05]を購入し、恵比寿ガーデンプレイス内の「東京都写真美術館」へ。目的は「夜明け前」展
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幕末から明治の北海道・東北地方に残された写真を展示。土方歳三の写真写真aなどもありました。チケットチケット500円の割に内容が、濃くて楽しかったし、パンフレットも安くて良かった[みんな:06](ただ全部の展示品が載ってないのが残念冷や汗)本当はもっとゆっくり見たかったけど、今日は最終日の上、これから両国にもハシゴしないといけないので、駆け足で。

西田川郡役所の写真も、致道博物館にあるのと同じだぁ~と。鈴木真一夫婦の写真があったのですが、奥さんって「美遠子」さんかしら??美遠子さんだったら西郷頼母の六女なんだけど…??大槻磐渓の写真や、開拓使本庁庁舎写真徳川幕府脱走兵士写真とか結構貴重なのがいっぱい見れました!




両国の江戸東京博物館へ。
今日まで「八重の桜[みんな:07]展」が。何とかギリギリ間に合いました。もちろん知っている事柄も多かったのですが、やはり会津の幕末・明治がこうやって展示されるのが嬉しい[みんな:03]
つい、殿の降伏の書状の文書や、萱野権兵衛への殿の手紙には泣けてきて涙良かったです。

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孝明天皇の形見分けの屏風として「獅子牡丹図金屏風」が出てました。ちなみにこの金屏風について慶応3年9日の「内舊一覧」(『会津藩 幕末・維新史料集』収録)には


『当十四日従 御所御使村山信濃介殿ヲ以 孝明天皇御遺物別紙御目録之通御拝領被遊、難有被思召目出度御儀恐悦ニ可被存候  略ス

         四月九日

一 唐金御花生 一御巻物

一 御花台 木地蒔絵 一外題 伏原三位宣論卿

一 御小屏風 牡丹獅子 岸城 一双  


と記されてます。

実物ですよ~ハート②

GW真っ最中の今日は、地元のバドミントン[みんな:03]市民大会に参加して来ました。
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羽飛(はっぴー)というチームで参加。女子ダブルス。まだまだヘタッピなので、4部で参加です。
本来の相方は都合が悪くて参加出来ないので、部長の相方も参加出来ない為部長とペア組み。いつもは負けてもともとと開き直ってるのであまり緊張しないのですが、今回は本来3部の部長となので、勝たないとというプレッシャーがあったみたいで、メチャメチャ緊張してて、特に1試合目は緊張で殆ど憶えてないし、緊張の所為で硬くなってるからクリアも飛ばない飛ばない[みんな:01]足も動かないし、やはり緊張するとろくなコトは無いです[みんな:02]

しかし、部長のお陰で何とか1試合目は勝ちましたクラッカーでも、サインするのも緊張でガクガク手が震えてました(笑)

残り2試合は女子高生相手で、やはり女子高生はちょっとでもサービスが浮くと叩いて来るし、ドライブ的な球が多くて2試合とも負けちゃいました[みんな:04]

試合後は、中華屋で打ち上げ[みんな:05]目一杯飲んで食べて楽しかったです[みんな:06]
もっと練習頑張って予選勝ち上がりたいです[みんな:07]
せっかくのGWというコトで、親が何処かに日帰りで行こうというので、何処が良いかと云う話になり、私や父親は勝手にいつも好きなトコに行ってるので、たまには母親の意見で行こうかと意見を聞くと、前に私と二人で箱根行った時に昼ごはん食べた「豆腐カツ煮が食べたい」と云うので、箱根に決定。

混む前にというコトで、朝4時半に出発[みんな:01]スムーズなドライブで、海老名SAで朝食。

早く着き過ぎてしまったので、寄木細工の工房をちょっと覗き、ベゴニア園に行こうとするも、見当たらず。
……もしかして3月にオープンしたばかりの箱根湯寮って????

富士屋ホテルの中をちょっと見学。富士屋ホテルは明治11年に外国人向けホテルとしてオープンした歴史あるホテルで建物や内装も素敵です。

そこから足を伸ばして、すぐ近くの渡辺ベーカリーへ。ここのシチューパンが絶品[みんな:02]オープン直後というのに大行列[みんな:03]
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その後、ちょっと早いけど本日のメイン「田むら銀かつ亭」へ。なにせ11時オープンのトコに10時15分着だから早過ぎかと思ったら、まさかの既に12番目[みんな:04]すぐ隣の銀かつ工房でつまみ食い。豆乳ドーナツ美味しい[みんな:05]
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オープンの頃には30組位待っているのに驚きです。[みんな:15]とりあえず直ぐに店内入れて、「豆腐かつ煮定食」を注文。豆腐の間に挽肉が挟まれてカツの様に衣をつけて揚げて、それを煮込んで卵で閉じたモノで、もう絶品です[みんな:06]
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食べ終わって店を出るときに、お店の人が80番台を呼んでた……[みんな:13]しかも後ろにまだ30組以上待っていた……[みんな:14]恐ろしや……[みんな:07]

駅前で土産[みんな:12]を買ったりしたかったので、駅前に行って臨時駐車場へ行くも満車満で、駐車出来た時には並んでから約1時間経ってました[みんな:08]
まずは祖母への土産を購入してから、山安で試食の干物干物を自分で炭火で焼いて焼きたてをパクリ[みんな:09]焼きたての干物干物も絶品[みんな:10]

その後、渋滞に引っかかる前に帰路[みんな:11]に。
史跡巡りとテーマはなっているのに、気が付けば、ほぼほぼ史跡巡りしてない冷や汗

駐車場の事を考えて、朝ホテルで自転車借りて時間の関係ない石部桜桜咲くへ。若干葉桜気味でしたが、まだ何とか…冷や汗
それより驚いたのは、前は畑の中にただ立っていたのが、周りを板敷にして「オープニングの桜桜咲くです」的な案内板が…。う~ん。
月虹徒然日記  月虹徒然日記



石部桜桜咲くを後にして、鶴ヶ城城へ。
城の観光客多かったです冷や汗桜咲くはやはり葉桜気味で、特に日当たりの良い黒門側は完全葉桜で撮影カメラ SPに耐えないのでがっかり[みんな:03]何とか本丸御殿側はギリ?
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一応、城城の中の特別展を見てから、図書館跡地の大河ドラマ館へ。ここも結構な賑わいで、最初にあった鉄砲銃体験。真ん中に命中しましたきらきらまあ案内のレーザーが出てるのですが、結構重くて腕が震えます冷や汗
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既に良い時間なので、急いでホテルに戻り車くるま。Bに乗り換えて、鶴ヶ城会館で土産を購入して、時間も惜しいので昼食お食事も済ませ、会津若松市内を後に。


田島へ行き、以前から行きたかった加藤氏統治時代の堀主水の妻「樹林」(なえ)の墓へ。徳昌寺という大きな寺の墓地にあり、墓地の入口には説明板もありました。墓は階段を登って行って突き当たりの住職の墓域らしき段の2段下の左端。かなり摩耗して文字が殆ど読み取れないですが、側面の堀主水妻の文字は読めました。(すみません冷や汗幕末じゃなくて冷や汗)


主水の妻は、名前を「なえ」といい、父は黒川与右衛門貞則、兄の貞得が伊予の加藤嘉明に仕えていた為、同じ家中の堀主水に嫁した。しかし、主君が明成になると軋轢が生じ、ある日堀主水は出奔、その際に城に向かって発砲、その為加藤明成はやっきになって主水を探し、高野山に逃げ込んだのを幕府に主水の引き渡しを願い出て、幕府は高野山に引き渡しを命じる。主水は高野山に居られなくなり、逆に幕府に明成の悪行を訴えたが、主水は城に鉄砲を撃ちかけた大罪人として明成に引き渡され、一族郎党処刑された。主水の妻なえは、鎌倉の東慶寺に預けられ、樹林と名前を変えたが、明成は東慶寺へなえの引き渡しを命じるが、東慶寺はこれを拒否し、逆に幕府に訴えなえを守った。
しかし、幕府から騒動を理由に領地の削減を命じられ、明成は自ら所領の返還を願い出た。明成が所領を返還したのち、なえは田島検断となった兄、黒川貞得の所に落ち着き晩年を過ごしたという。

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今回最後の目的地、南会津博物館へ。ここでは~6/30迄「南山御蔵入領の戊辰戦争」-会津戦争終結の地-の企画展をやっているので、見にやって来ました。芸州藩の戸板の落書きとか、河原田隊旗印や、河原田治部和歌、山川大蔵書状などがありました[みんな:08]


せっかく来たので、「山王茶屋」で軽くお茶茶。美味しそうだったので天ぷらも。サックサクで美味しかったですハート

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久しぶりの車[みんな:04]での会津行き。何年振りかというと…少なくとも6年位??なのでちょっとドキドキ冷や汗


朝5時半位に家を出発して、東北道を経て白河ICで降り、棚倉の馬場都都古別神社鳥居へ。途中心配していた渋滞は殆ど遭わず、スムーズでした。唯一で最大のアクシデントはETCカードの期限切れで、ETC持ってるのに宝の持ち腐れ状態[みんな:13]

馬場都都古和氣神社鳥居は陸奥一の宮で、明治8年から3年間、西郷頼母が禰宜を勤めた神社です。鳥居鳥居をくぐった途端神聖な空気が感じられる良い神社です。とりあえず西郷頼母関係のは何も残ってはいないのですが、鳥居鳥居の前に大河の影響か、この馬場都都古別神社に頼母がいたという記事が載った新聞の切り抜きが飾ってありました。

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せっかく棚倉来たので、棚倉城址城へ。ここも城址公園となっていて、堀のみが当時の面影を残してます。戊辰時の棚倉藩は阿部正静が6万石で入部、戊辰戦争で慶応4年の6月24日に落城しました。


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長久寺へ。ここには「細谷カラスと十六ささげ なけりゃ官軍高枕」と唄われた「十六ささげ」コト棚倉藩士で、メンバーのひとり『山岡金次郎』の墓へ。墓は無縁墓地にあります。(こちら のサイトを参考にさせて頂きました)ガッツリ無縁墓地の中に埋れて名前も全てを判読出来ないのが残念[みんな:05]


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更に、白河に向かいながら途中「釜子陣屋跡」へ。釜子陣屋は、寛保2年榊原家が館林から白河十五万石に転じ、間もなく越後高田へ移る際に、旧領の内三万三千石を割いて、そのまま越後高田に於いて領有せられる事となった越後高田藩の飛び地で、高田藩は恭順していましたが、戊辰の混乱で遠隔の本藩の状況を知らない釜子陣屋は本国の指示で動く事が出来ず、釜子陣屋の独断専行によって奉行吉田茂右衛門が奥羽越列藩同盟に加わり戦争に参加。会津藩救援の兵を出兵させる際に陣屋を自焼炎。その後、本国が恭順し会津に来襲しているのを知ると、独断専行の罪を謝して高田藩に帰参を願い出た。今は路地の奥にひっそりと案内板のみが立ってます。

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ちなみに、釜子陣屋明渡しの実話として、釜子軍従軍の神尾隣三郎州宰(29)の談話として、「突如釜子陣屋門前が騒がしくなったので尋ねると、会津の兵隊がやって来たという、棚倉城を手に入れる為の一隊である事が知れ、『御奉行に直接御意得たい議あって罷り出た、かく申す拙者は会津家老西郷頼母である』と口上、「(略)今回大義の為に起って薩長の専横を膺懲することとなたについては、是非に及ばず御味方願いたい、拙者はこれから棚倉城受取に罷越す途中、貴藩の先祖榊原康政公は徳川四天王の一、よもや御異存はござるまい』と手詰めの談判。吉田奉行は戦争御趣旨には異存ないと答え「高田城下と交通社絶の故に我等一存で御味方するでござろう、就いては今後のこと何分の御指図を請う旨申し出た」という。
その後の西郷頼母との申し合いで官金倉米等を会津に引き渡し、家中全員を率いて会津領内に入り、猪苗代に駐在、一部は母成峠に派遣され大鳥圭介の幕下に入り母成の戦いに参加。その後会津勢と共に鶴ヶ城に入り三の丸の守備に加わったが、吉田奉行行方不明かつ、高田藩が官軍中にありとの噂で苦境に陥り、ついに意を決して城内より脱出し、吉田奉行が熊倉にいるを探知し、その一隊に合し、その後本国の隊に帰参を願い出たものである。(会津会会報42号「戊辰の役 釜子藩会津戦参加の顛末」より)




白河から一直線に会津に行こうかとも思ったのですが、せっかくなので、稲荷山の上に出来たという碑を見に稲荷山へ。…だいぶ整理されましたね。幟幟がいっぱい立っていてビックリですよ。稲荷山を登りきった所に「西郷頼母の歌碑」がありました。
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ここからは寄り道しないで若松市内へ。高速は使わずお気に入りのルート「勢至堂峠~黒森峠~背炙峠」です。冬季通行止が解除されてて良かったけど、まだ所々雪雪だるまが残ってました。背炙峠途中からの若松市内の眺めは素晴らしいです。
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市内に着いて遅い昼食[みんな:07]を取ろうと、「スープカレー・ウィザーズ」 へ。今回は「ジューシー厚切りベーコン&野菜(7種類)」 です。ここのスープカレーは野菜とベーコンがゴロゴロいっぱい入っているし、辛さやご飯の量も選べるし、サラダバー有るしで、好きなんですよね[みんな:08]
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その後図書館[みんな:09]へ。欲しい本[みんな:11]が見つからず、時間も迫っていたので断念して図書館を後に…。

前回行けなかった神保家の墓の所の慰霊碑?墓?を見に善龍寺へ。多分敷地的には建福寺なのかもしれないですが、善龍寺の方が近いので。「井上家と神保家の合同墓」でした。
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会津幕末歴史検定の回答、野矢常方の碑がある「諏方公園」へ。…アレ?諏方神社の横って前から有料駐車場でしたっけ??駐車スペースに苦しみながらながら何とか碑を確認。
諏方神社には行った事あったけど、まさか隣の公園はノーチェックでした↓↓
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本日の宿、中町フジグランドホテルにチェックイン。今回は奮発してお酒冷酒とぐい飲み付きプランにしたので、部屋には「ぷちぷち」が用意してありました。色々なサービス品も嬉しい。



夜、籠太に行こうかと思いきや、予約でいっぱいで、21時頃にならないも空かないというので断念涙ばんげやは日曜定休だし、鳥益に行くと満席だけど少しすれば空きそうというので待つと10分程で席に着けました冷や汗

まずはビール[みんな:02]と栃尾の油揚げと焼きなす。油揚げは周りはカリカリで中はフワッで美味しいし、焼きなすも口に一口入れると一瞬でとろけます[みんな:01]
次にネギマ串と砂肝串、塩モツ煮込みに、日本酒も。本当にどれも絶品で大満足[みんな:03]

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少し早いけどお腹いっぱいになったのでホテルへ帰宅。
会津旅のハズが、気が付けばあまり会津を廻って無い事に気が付きながらも、市内はもうちょっと空いてる時期にしようかと。