お借りしていた「会津藩士の実録~若年寄西郷勇左衛門の遺稿~」をコピーして、夕方ファイルに綴じながら、パラパラ見ていたら、「帰郷」の項目で、西郷勇左衛門が東京謹慎所から若松に帰郷する際の行程が書かれていて、さらにその道中を手記に記載していた。
其の中に、4月24日粕壁泊と書かれており、手記には
「申の下刻(午後5時頃)ばかり、粕壁の宿にやどりぬ。夕げの米いと白うかぐはしく、味はひいふばかりなし。賄いに賜はりたる南京より持こし米にはくらべん方なし。」

…おおお、西郷勇左衛門、春日部に泊まったんだvv
しかも、本の最初の方には、先日から気にしていた会津と春日部の関係が考えられる「春日部規」氏の名前がΣ(|||▽||| )勇左衛門が熊倉で寄宿していた家が五十嵐家で、その五十嵐彦四郎氏の次男二美氏が五十嵐家から若松の春日部氏に入った方らしい。もっときちんと読んだから春日部氏との関わりももうちょっと解らないかなぁ~。意外なところで春日部氏が出てきたものだ。やっぱり春日部重行の墓行ってみようかなぁ~。