とりあえず、色々な方々のブログを見た限り、先日の「白虎隊」概ね好評の様で一安心vv
どうしても史実を知ってる上で見ていると、アラ探しになってしまうのでダメですね~。
ただ、気になったことが・・・。
「白虎隊=自刃隊士+蘇生隊士の合計20名」だと思っている方が多いことo( ̄ー ̄;)ゞ
ドラマの中でも説明がありましたが、会津藩の鳥羽伏見の戦い後に行われた軍制改革によって
白虎隊→16歳~17歳
朱雀隊→18歳~35歳
青龍隊→36歳~49歳
玄武隊→50歳以上
の四隊として結成され、実際は朱雀隊が実戦主力隊、青龍隊は国境守備隊、玄武隊と白虎隊は予備軍として配されたもの。当初15歳~となっていたが16歳~に変更され、戦争が終盤になると、戦力不足から15歳も組み込まれました(その中に後の東大総長となる山川健次郎達がいます)
また、白虎隊も内訳として士中一番(37名)・二番隊(37名)/寄合一番(98名)・二番隊(62名)/足軽一番隊(71名)の5隊に分けられ総勢305名がいました。
その内、飯盛山で自刃したのは士中二番隊の内20名(内一名飯沼貞吉が蘇生)で、残りは生存しています。(つまり士中二番隊は自刃隊士以外の戦死者は無し)
そして、自刃隊士以外にも士中一番隊や寄合隊、足軽隊で戦死者を31名出しています。
残念なのは、自刃隊士ばかりに日が当たって、他の戦死した少年達が蔭に隠れてしまっているっていう事でしょう。(飯盛山でも自刃隊士達の脇に31名の墓があるんですが、ガイドさん達も説明しないでスルーされる事が多いですしね)
そして、主人公の「酒井峰治」は実在する人物で、「戊辰戦争実歴談」という手記も残しています。(架空の人物だとか、飯盛山で死ぬと思っていた方も居たようなので)
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あと、所々出てきた「什の掟」ですが、「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」ばかりが取りざたされてましたが、全ての教えを挙げると。
1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2.年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3.虚言を言うことはなりませぬ
4.卑怯な振舞をしてはなりませぬ
5.弱い者をいぢめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。
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の7か条。
そして、儀三郎がしっぺを喰らったシーン、あれは「什」と呼ばれる組織。
会津藩子弟は日新館入学前は「遊びの什」入学後は「学びの什」という10名程で組織されるグループにそれぞれ入らなければならず、遊びの間でも長幼の序が厳しく保たれていた。そして「遊び」の初めには年長者である什長が上座について「什の掟」を読上げ、その後座長が「何かいう事はありませんか?」と申し渡し、掟の叛いた者が居ないかを糺す。違反者に対しては以下の制裁が加えられる。
1・無念⇒違反者が座中の者に向って「無念でありました」とお辞儀をして詫びる。
2・シッペ⇒掌に加えるものと、手の甲に加えるものとがあり、後者の方が重かった。
3・絶交⇒「派切る」と言って最も重い罰。一度派切られると父親か兄が付き添って組長の元に行って詫びをして絶交の解除を求めなければならなかった。
ということで、儀三郎はシッペだったので、二番目に重い罰だった訳ですね。
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ドラマで出てきた山本覚馬の妹、山本八重子さん。
彼女は後に、旧安中藩士で京都同志社大学の創始者の新島襄
の妻となりました。
とりあえず、会津の歴史を知らなかった方々に会津の歴史を知ってもらう良いドラマだったのではないかと。母親の視点から見た白虎隊というのも斬新だったし。
でもやっぱり、昔の日テレでやった「白虎隊」にはまだまだ及ばないですネ。
昨日、各地で成人式が行われたようですが、地元春日部も含め各地で新成人の乱行が報告されていますが、白虎隊のドラマを見て考え直してもらいたいところですね。