56歳になりました。
55歳はまさかの1年入院生活
今日は思い出に浸ろうかな。。。
1968/04/30 出生
小学4年で野球を始める。
小学5年に投手デビュー!
ウインドミルで右腕を振り回す。
中学生で本格的に投手になり
右腕を振りかざした。
高校野球でも甲子園で投手として出場。
大学でもこの右腕が活躍してくれた。
1990年ドラフト3位で近鉄バファローズ入団
1991/04/09 初登板
その後、13年右腕を振り続ける。
1997/11月 右腕にメスを入れる。
1999/02/18 右腕で宝を抱く。
2007/7/20新たな宝を右腕で抱く。
この2つの命の感動は忘れない。
引退してからも右腕に注射の針は入れない。
2023/4/右足中指の感染が発覚。
重症下肢虚血
緊急の為、右足中指を切断。
治療の為、強制入院生活始まる。
遅ければ右足を失うとこだった。
回復に時間が掛かり長期の治療。
何とか回復し、足は残す事ができたのだが。。。
2023/12月 感染症が足から指先に転移
最初は小さな傷口だった。
そして。。。
指先に壊死が見られる。その結果
指先を2本切断
2024/1月 心臓弁膜症の発覚
血流の悪さに懸念が増える。
動脈硬化が激しく回復がままならない。
糖尿病による影響は恐ろしい。
これ以上感染を広げない為に洗浄の繰り返し。
毎回激痛が走る。
今日まで右手の機能を残す為に治療を続けるも
2024/05/01
感染症が進み明日右腕を切断する事に。
56歳
最初の出来事が右腕を失う事。
涙は出なかった。
もちろんショックはあるけれど
何とか機能を残そうとしたけど。。。
ままならない。
受け入れることなんて出来ないけど
生きる為には乗り越えないとな。
思い入れはたくさんある。
思い出も語り尽きない。
一緒に戦ってくれた右腕
感動を分かち合った右腕
明日、お別れする。
ごめんなさい。
この言葉しか浮かばない。
その後どうなるんだろう。
不安がよぎる。
出来なくなったことはいくつあるのだろう。
この治療が終わってもまだ終わりではない。
心臓弁膜症の手術もしないといけない。
感染症も5年生存率と言われ
再発のリスクもある。
改めて健康第一と考えさせられる。
正直、死ぬ事は想像できない。
まだ、やらないといけない事もたくさんある。
悲劇のヒロインでもない。
みんなと笑顔で会う為に。
56歳になりました。
誕生日おめでとう。
苦難の先には幸せがある。
それを有難いという。
ありがとう。
失われた右腕
これも長い人生の一つ。
そう思いたい。
元来ただの強がり。
ならば命ある限り強がって生きる。
やる事はまだまだたくさんある。
目一杯抗いでやる。
56歳を迎えた右腕のないハゲたおっさんですが
どうかよろしくお願いします。
皆さんもどうか健康第一で!
みんなかがや毛〜!
ワシ、
野球選手やったんやで!!!