はじめまして!こんにちは!
ともちんです。
このブログでは、高校時代はずっと学年ビリ
で馬鹿にされ続けてきた僕がどうやって英語
の偏差値を30上げて母校で初めて阪大に合
格できたのか
そのノウハウを紹介しようと思います。
「どうせ阪大に受かるくらいならもともと頭がよ
かったんでしょ」とか、「どうせ進学校だろ」など
と思うかもしれません。しかし、もともと頭も良
くないし、進学校でもありませんでした。
僕の高校は偏差値でいうと50くらいの公立高
校で学年400人中、毎年国立が4人くらいしか
受からず、関関同立も毎年上位20人程度しか
受からないごく平凡な高校でした。
阪大レベルのいわゆる旧帝国大学に合格した
生徒は、僕の高校の歴史上1人もいませんで
した。そんな中でも僕は397/400位など、学
年の最底辺をさまよい続けていました。
そんな状況の中でも僕は阪大に受かる必要性
がありました。僕の家庭の経済状況は悪かった
ため、私立大学に通うほど余裕がなかったから
です。
そのため僕の志望校は実家から通える大阪大
学の一択に絞られることになりました。それが
わかったのが高2の夏だったので、サッカー部
だった僕はさっそく練習終わりにシス単を買い
いきました。
それが僕の闘いの始まりでした。その日から
毎日必死にシステム英単語を覚え始めました
。しかしこれがなかなか覚えられません。やは
り僕には才能がないのではないか。
受験勉強をはじめて僅か3日ほどで挫折を味
わいました。でも僕はそこで諦めませんでした
。サッカーボール初めて蹴ったあの日、僕はう
まく蹴れただろうか。
いや、蹴れなかったはずだ。
サッカー部ならだれでも蹴れるはずの「インサ
イドキック」ですらまともに蹴れなかった。
僕はサッカーを通じて初めてのことはできなく
て当たり前だということを学んでいたので、諦め
るという選択肢はありませんでした。
そして、僕は勉強をするまえに勉強法を勉強しよ
うと決断し、いままで遊ぶために貯めてきたお金
をはたいて勉強法の本を買いあさりました。
そうしてあらゆる勉強法を試しました。中に
は胡散臭いものもたくさんありました。でも
『物は試しだ』の精神でできる限り全て実践し
たり、自分なりにアレンジもしました。
そうした試行錯誤の組み合わせの中で自分
独自の英語勉強法を生み出し、爆発的に偏差値
を上げ、憧れの大阪大学に合格できたので
す。
これからこのブログでは一個ずつ独自のノウ
ハウとやらを紹介していくのでよろしくおねが
いします!