さってと、精神的に参ってしまい。学校に行けなくなり、今、両親と学校側から8月いっぱいの夏休みをもらいました。
母親と話、私が求めていた無意識の欲求。認められたいという欲求を感じ、そして、それが叶わない欲求かつ、精神的に愚かな欲求である事気づいた。
その欲求がどこからくるのか、確かめるためにクラブの先輩であるMさんにLINEで長文を打った。
母に褒めてもらいたくてしかたなかった思い出、貧窮に苦しんだ思い出、母の父に対する愚痴を聞かされる嫌な思い出、いじめられていた思い出、クラブに貢献できるようになった矢先に怪我をして夢半ばにクラブを引退した思い出、大学のクラブで責任という言葉を楽するために使っているメンバーとの思い出、辞めた時の思い出、いじめられていた時のトラウマが再熱して皆が私の悪口を言ってるように思ってしまい学校に行けなくなった思い出
全部吐き出して、トラウマを受け入れてみた。私は、認められたかった。愛されたかった。
そこで初めて分かったのは、嫌な思い出が自己分析の邪魔をしていた事、要するに、しっかりと昔の事を思い出す時に、嫌な思い出がよぎり、気分が滅入り、自己分析を終える。
この繰り返しだった事に気が付いた。
ここまででは、まだまだ既卒で就職活動は不安なはず、しかし、ある言葉で救われる
この世に平穏なんてない、腹を括って、覚悟を決めろ。
単純だった、食品メーカーの安定さに、私は目がくらんだのだと気付かされた。
私は、中学3年の時、ある塾の先生に救われた。いじめられ何もできないと思っている自分に、無理矢理勉強させ、出来た時に褒めてもらった。そこで、勉強が好きになった。
高校生の剣道部で、自信に満ち溢れ、テキトーながらも、仲間想いの、風の様に、自由で温かい奴にであった。キャプテンとして、尊敬できた
人生に疲れ、自分さえよければ良いと思い荒れていた自分が最後まで、残したいと思った友人関係の先輩を持った。
俺も誰かの生き方を変えたり、考えさせるような人間になりたい。