明日は主人の
10回目の命日です
10年
あっという間だったような
とてつもなく
長かったような
複雑な気持ちです
「10年ひと昔」という
言葉があります
確かに
思います
47歳だった私は
57歳になり
もうすぐ就職、という
状態だった長女は
今では母親になり
中学生だった下の2人も
もう立派な社会人です
この
10年という節目の年に
初孫が生まれ
長女夫婦との敷地内同居が始まり
主人と私が建てた家は
すっかり今風に模様替えをして
長女夫婦の家として
生まれ変わりました
これは
何かの巡り合わせ
だったのでしょうか
私自身は
主人が知らない家に
住んでいます
こんな大きな決断と
大きな買い物を
一人でした私を
主人はきっと
空の上で驚きながら
見ていたことでしょう
賛成してくれていたかは
わからないけれど…
でも私は
これで良かったと
思っています
娘夫婦が隣りにいてくれる
安心感は
想像以上だったし
その決断をしてくれた長女と
特にY君には
感謝しかない
秋になり
お互いの家が
窓を開けて過ごすことが多くなり
夜になると
隣りからは
夫婦の楽しそうな笑い声が
毎晩、聞こえてきます
2人ともお酒を飲むので
声も大きくなるし
とにかく仲が良くて
楽しそう
そして
Tくんの泣き声も
聞こえてきます
とっても微笑ましくて
ホッコリした気持ちになるけれど
やっぱり
寂しく思う時も
多々あります
私はやっぱり
一人なんだな、と
実感してしまう瞬間
主人がいたらなぁ、と
10年たった今でも
思います
ただ
実際に生きていたら
どうだったかは
わからないですけどね
いることが当たり前で
ここまで
「いて欲しい」なんて
思わなかったかもしれない
バカな私は
結局
失わないと
その存在の大きさに
気づかなかったかもしれません
今は密かに
早く寒くなって
窓を閉めるようにならないかな
なんて思ってる始末です
夏の間は
エアコンをかけているので
お互いに窓は閉めていて
声は全然 聞こえなかったので
寂しさを感じることもなく
どうも
その方が
私の精神衛生上は
いいようです
我が家は
法要は
いっさいしないと決めて
これまできました
毎年
家族4人で
集まって食事をするだけ
最近では
命日を肴に
みんなでワイワイするだけ
みたいに
なってしまってますが…笑笑
今年もそれは
変わりませんが
本来の命日である
明日には
残念ながら
下の2人の仕事の都合で
集まれません
姫は昨日から
帰省してますが
明日の夜には
東京に戻らなければならず
次女も明日は
お店の棚卸しに当たってしまい
休めないらしい
仕方ないので
今晩
みんなで集まることに
なっています
でも
命日は明日の25日ですが
主人が静かに息を止めたのは
10年前の今日です
夜中だったので
先生の死亡確認が
日付けを跨いでしまい
命日は25日になりましたが
ほんとの命日は
今日なので
それもいいかな、と
娘達と話しました
Tくんがいるので
お店に行くのはやめて
生まれ変わった母屋で
みんなで
楽しく過ごす予定です
母屋の骨組みは
主人が建ててくれた物です
だからきっと
10年たっても
そこに変わらず集まれる私達を見て
主人も
喜んでくれますよね
姫は今日は
お友達とアウトレットに
遊びに行ってて
もうすぐ帰宅予定
次女は
棚卸し前日も準備があり
休めなくて
仕事が終わってから
合流します
10年
こんな長い月日を
私はよく
一人で生きてこれた
10年前の今日は
これから
どうやって生きていけばいいのかと
真っ暗闇だった
いろいろありました
きっと
また会えた時には
主人には
叱られることのほうが
多いと思います
でも
叱られてもいいから
私はあなたより
ずっとおばあちゃんだけど
このブログのタイトルのように
ちゃんと私を
見つけてね