今回は、ちょっと自分語りをさせていただきます(;^ω^)
ブログを見直してみて、そういえばあまり自分のこと書いてないなぁ・・・
と感じたので、大した話ではないですけど、
ちょっと語ってみようかなぁと思いました。
これで、瀬戸のことが少しでも分かっていただけましたら幸いです(*^-^*)
前に書いた記事ですがイラストレーターになるきっかけは
結婚式のウェルカムボードを描いたことだったのですが、
それよりもっと前の話をします(;^ω^)
ちなみにウェルカムボードの記事はこちらです☆
→【雑文】私にイラストレーターになるきっかけをくれたウェルカムボード。
昔からずーっと絵を描くのが好きでした。
私はよく覚えていませんが、幼い頃から紙と鉛筆を渡しておけば、
おとなしくずっと描いて遊んでいたような、そんな子供だったそうです。
小さいころの夢はファッションデザイナーと漫画家、
イラストレーターというか、絵を描くことが出来る職業でした。
(イラストレーターという職業を知らなかったので・・・)
なので、小さい頃から創作の洋服を着た女の子をよく描いておりました。
漫画に関しては、家にあった不要な紙を使って、鉛筆で漫画を描き、
それを冊子にして、友達同士で読みまわしをしたりしていました。
それが発展して数年後には『同人誌』という存在を知り、
私はオリジナル漫画から二次創作の漫画を描くようになりました。
絵はシリアス系(?)なんだけど、描いてるのはギャグ漫画でした。
(余り人に語れない黒歴史かもw)
しかし、描いているうちに漫画が向かないことに気づきます(苦笑)。
ストーリーを考えたりすることが得意ではなかったのです(;^ω^)
なので、イラストレーターという職業があることを知ると、
当然のようにイラストレーターになりたいなぁと思うようになりました。
しかし、ここは田舎の会津。
ネットもまだ未発達、携帯だって持ってる人がほとんどいないような時代。
自分のイラストの発信手段が雑誌等のイラスト投稿くらいしかなかった時代。
(いやー、年代が出ますよねぇ、こういうのって(;´Д`))
イラストを職業にするなんて無理だと感じた私は
「イラストは趣味で描いていこう」
と、諦めました。
そして時代は就職氷河期。![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
亡くなった祖父とおじが公務員だったこともあり、
手堅く公務員を目指しました。
でも、すごく「なりたい!」という情熱はありませんでした。←
やっぱり絵を描く仕事を諦めきれなかったというのもあったからかもしれません。
私は普通科の高校を卒業して、
公務員になるためにビジネス系の専門学校に進みました。
そこで朝から晩までひたすら公務員試験のための勉強をしました。
その合間を縫って、趣味で同人誌を発行したりもしておりました。
勉強はすごく大変でしたけど、絵を描くことはやめられませんでした(笑)。
↓同人誌時代のイラスト。(幕末歴史を描いておりました)
PCに慣れておらず、苦戦しながら描いてました。
当時は下描きとペン入れはアナログで行っておりました。
↑丸ペンと筆ペンで描いたアナログの絵です。
この時はスクリーントーンをなるべく控えて描いていました。
さらにご覧の通り、当時は男性ばっかり描いていました(笑)。
そしていくつか公務員試験を受けました。
滑り止めの感覚で、東京23区の試験も受けました。
後は地元の試験をいくつか。
そうしましたら、受かったんです。
東京23区が。
私びっくり(゚д゚)!
家族もびっくり(゚д゚)!
さらに地元の公務員試験も仮合格しました。
「仮」ってのが微妙なんですが・・・(;´Д`)
これはもう、『合格』した東京23区の方へ行きますよね。
普通は。
しかし、私は会津の田舎出身。
ぶっちゃけ
都会が怖かった(爆)!。゚(゚´Д`゚)゚。
知り合いもいない東京へ単身乗り込んで生きていくなんて、
二十歳そこそこの小心者の私には怖かったのです。
さらに地元公務員試験の『仮』合格のこともあったので迷いました。
でも常識的に考えたら、就職氷河期でなかなか仕事に就けない時代、
どう考えても東京23区の方へ行きますよね。
ですが、私は地元の地方公務員にかけました(爆)。
理由は上記のとおり・・・(汗)。
慣れた地元で働けたら、私も家族も安心するし。
1年待ったら欠員が出て、地元で公務員として働けるかもしれない・・・!
そう思った私は地元の役場の臨時職員の申し込みをしました。
(この考えが甘かった)
うーん、結構長くなってしまったので、記事を分けますね。
その2へと続きます~。
ではでは(´∀`*)ノシ
→その2はこちらです☆
ブログを見直してみて、そういえばあまり自分のこと書いてないなぁ・・・
と感じたので、大した話ではないですけど、
ちょっと語ってみようかなぁと思いました。
これで、瀬戸のことが少しでも分かっていただけましたら幸いです(*^-^*)
前に書いた記事ですがイラストレーターになるきっかけは
結婚式のウェルカムボードを描いたことだったのですが、
それよりもっと前の話をします(;^ω^)
ちなみにウェルカムボードの記事はこちらです☆
→【雑文】私にイラストレーターになるきっかけをくれたウェルカムボード。
昔からずーっと絵を描くのが好きでした。
私はよく覚えていませんが、幼い頃から紙と鉛筆を渡しておけば、
おとなしくずっと描いて遊んでいたような、そんな子供だったそうです。
小さいころの夢はファッションデザイナーと漫画家、
イラストレーターというか、絵を描くことが出来る職業でした。
(イラストレーターという職業を知らなかったので・・・)
なので、小さい頃から創作の洋服を着た女の子をよく描いておりました。
漫画に関しては、家にあった不要な紙を使って、鉛筆で漫画を描き、
それを冊子にして、友達同士で読みまわしをしたりしていました。
それが発展して数年後には『同人誌』という存在を知り、
私はオリジナル漫画から二次創作の漫画を描くようになりました。
絵はシリアス系(?)なんだけど、描いてるのはギャグ漫画でした。
(余り人に語れない黒歴史かもw)
しかし、描いているうちに漫画が向かないことに気づきます(苦笑)。
ストーリーを考えたりすることが得意ではなかったのです(;^ω^)
なので、イラストレーターという職業があることを知ると、
当然のようにイラストレーターになりたいなぁと思うようになりました。
しかし、ここは田舎の会津。
ネットもまだ未発達、携帯だって持ってる人がほとんどいないような時代。
自分のイラストの発信手段が雑誌等のイラスト投稿くらいしかなかった時代。
(いやー、年代が出ますよねぇ、こういうのって(;´Д`))
イラストを職業にするなんて無理だと感じた私は
「イラストは趣味で描いていこう」
と、諦めました。
そして時代は就職氷河期。
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
亡くなった祖父とおじが公務員だったこともあり、
手堅く公務員を目指しました。
でも、すごく「なりたい!」という情熱はありませんでした。←
やっぱり絵を描く仕事を諦めきれなかったというのもあったからかもしれません。
私は普通科の高校を卒業して、
公務員になるためにビジネス系の専門学校に進みました。
そこで朝から晩までひたすら公務員試験のための勉強をしました。
その合間を縫って、趣味で同人誌を発行したりもしておりました。
勉強はすごく大変でしたけど、絵を描くことはやめられませんでした(笑)。
↓同人誌時代のイラスト。(幕末歴史を描いておりました)
PCに慣れておらず、苦戦しながら描いてました。
当時は下描きとペン入れはアナログで行っておりました。
↑丸ペンと筆ペンで描いたアナログの絵です。
この時はスクリーントーンをなるべく控えて描いていました。
さらにご覧の通り、当時は男性ばっかり描いていました(笑)。
そしていくつか公務員試験を受けました。
滑り止めの感覚で、東京23区の試験も受けました。
後は地元の試験をいくつか。
そうしましたら、受かったんです。
東京23区が。
私びっくり(゚д゚)!
家族もびっくり(゚д゚)!
さらに地元の公務員試験も仮合格しました。
「仮」ってのが微妙なんですが・・・(;´Д`)
これはもう、『合格』した東京23区の方へ行きますよね。
普通は。
しかし、私は会津の田舎出身。
ぶっちゃけ
都会が怖かった(爆)!。゚(゚´Д`゚)゚。
知り合いもいない東京へ単身乗り込んで生きていくなんて、
二十歳そこそこの小心者の私には怖かったのです。
さらに地元公務員試験の『仮』合格のこともあったので迷いました。
でも常識的に考えたら、就職氷河期でなかなか仕事に就けない時代、
どう考えても東京23区の方へ行きますよね。
ですが、私は地元の地方公務員にかけました(爆)。
理由は上記のとおり・・・(汗)。
慣れた地元で働けたら、私も家族も安心するし。
1年待ったら欠員が出て、地元で公務員として働けるかもしれない・・・!
そう思った私は地元の役場の臨時職員の申し込みをしました。
(この考えが甘かった)
うーん、結構長くなってしまったので、記事を分けますね。
その2へと続きます~。
ではでは(´∀`*)ノシ
→その2はこちらです☆