1月31日~2月2日まで沖縄へ行ってきました。
いつもなら『声楽レッスン』♪♪
なのですが、今回は自分と向き合う為の沖縄。
申し込むまでに何度も迷い、申し込んでからもキャンセルしようかと何度思ったことか。
それほど怖かった。
『嘘をつけなくなる自分』
どんなことになってしまうのだろう?
前日、覚悟を決め、参加することにした沖縄。
やはり、すごいことが起こりました。
先ずはこの沖縄巡礼記を先達してくれた須佐厳さんのこのツアーの目的から紹介します。
……………………………………
なぜみなを連れて沖縄へ行こうと思ったのか
訪れて初めて判ることもある...
ここに来ると 嘘がつけなくなってしまうのだ
日常のほとんどのことが 自分の意思で流れているのではなく
すべての自分の想いにそぐわない経過や結果を
人やモノのせいであると 嘘ばかりをついている私たちにとって
ここは容赦のない 辛辣(しんらつ)な場所である
私たちは 日常のカオスに翻弄されて
「自分のために生きているのだ」という確信すら
闇の中に投げ入れてしまい
もはや探し出すことも 救い出すこともできなくなってしまっている
こんな時は
生きるのが下手な人と話をしたくなり
諭しとして そのトキが与えられたりもするが
ここにくれば そんな猶予も 甘言も存在しない
つまり
問答無用だ
人はその運命(さだめ)に 抗(あらが)えば抗うほど
重く 辛い 夢を見ることを強いられ
運命(さだめ)に反して飛び立とうとしても
すぐに射抜かれて 墜落する
もうそろそろ いい加減に 「悟れ」と 告げられた人たちが集まる
だからもう
嘘はつけない
さて
嘘をつかないと云っても
嘘をつかぬ世渡り術など存在はしない
そんなことは遠い昔から合点しているつもりでも
さて ここに来れば 嘘がつけなくなるのだから 一体何が起こるのだろう
やはり人を 傷つける
ついてきた嘘が 大きければ大きいほど
多ければ多いほど
嘘をつかなくするということは
残酷極まりない
でも やはり
はじめっから 嘘をつかないか または
嘘をつかなくなってからの人生のほうが
おもしろいにちがいない
女性性と 森羅万象が
その典型的な例ではないか
森羅万象はもとより 着飾ることをしないし
女性の芯に当たる「性」の部分は
着飾ることが不可能である
その着飾らない自分に 語りかける旅に
皆さんをお誘いするのだ
ひとりひとりが 自分自身に向き合い
自分に対して 「嘘をつかない」と
そう誓うことができる旅に
本土では長い時間をかけて 「信仰」が「宗教」にスゲ替えられた
つまり 民を「教化」するための政治的な材料にされてしまったのだ
これはいささか言い過ぎの感もぬぐえず
私たちはその教えを信仰して今日があるのだが
そこに存在している「神」と民の間に 何者かを介在させてしまったのだ
これが「嘘」の始まりかもしれないと思った
この地では 未だ
神と人とが 一対一の対話をする
さらに その神々たちは 「教化」をしないし
神々自身 何者かによって教化をされていない
筋の通った役目を持ってそこに存在する
だから民は 心に現れたことを そのまま神と問答するのだ
つまりそこには「嘘」が介在する余地などどこにもない
すなわち 大急ぎで 場面が変わってゆく
ついていた 突き通してきた「嘘」が祓われてゆく
古代から何も変わらない信仰の姿
その変化は 容赦の無い 問答無用の速度
嘘の無い女性は 何をしなくても 美しく
そして 他のどのようなものよりも気高い
ひとりひとりが 自身の魅力と可能性に触れるたびに
止め処なく涙が流れる
強く しなやかに 手弱女(たおやめ)になること
手弱女が益荒男(ますらお)を創り出すこと
これは約束なのだから その道を歩めばよいのだ
そうすると 少しずつ
世の中が変わってゆく
須佐厳



いつもなら『声楽レッスン』♪♪
なのですが、今回は自分と向き合う為の沖縄。
申し込むまでに何度も迷い、申し込んでからもキャンセルしようかと何度思ったことか。
それほど怖かった。
『嘘をつけなくなる自分』
どんなことになってしまうのだろう?
前日、覚悟を決め、参加することにした沖縄。
やはり、すごいことが起こりました。
先ずはこの沖縄巡礼記を先達してくれた須佐厳さんのこのツアーの目的から紹介します。
……………………………………
なぜみなを連れて沖縄へ行こうと思ったのか
訪れて初めて判ることもある...
ここに来ると 嘘がつけなくなってしまうのだ
日常のほとんどのことが 自分の意思で流れているのではなく
すべての自分の想いにそぐわない経過や結果を
人やモノのせいであると 嘘ばかりをついている私たちにとって
ここは容赦のない 辛辣(しんらつ)な場所である
私たちは 日常のカオスに翻弄されて
「自分のために生きているのだ」という確信すら
闇の中に投げ入れてしまい
もはや探し出すことも 救い出すこともできなくなってしまっている
こんな時は
生きるのが下手な人と話をしたくなり
諭しとして そのトキが与えられたりもするが
ここにくれば そんな猶予も 甘言も存在しない
つまり
問答無用だ
人はその運命(さだめ)に 抗(あらが)えば抗うほど
重く 辛い 夢を見ることを強いられ
運命(さだめ)に反して飛び立とうとしても
すぐに射抜かれて 墜落する
もうそろそろ いい加減に 「悟れ」と 告げられた人たちが集まる
だからもう
嘘はつけない
さて
嘘をつかないと云っても
嘘をつかぬ世渡り術など存在はしない
そんなことは遠い昔から合点しているつもりでも
さて ここに来れば 嘘がつけなくなるのだから 一体何が起こるのだろう
やはり人を 傷つける
ついてきた嘘が 大きければ大きいほど
多ければ多いほど
嘘をつかなくするということは
残酷極まりない
でも やはり
はじめっから 嘘をつかないか または
嘘をつかなくなってからの人生のほうが
おもしろいにちがいない
女性性と 森羅万象が
その典型的な例ではないか
森羅万象はもとより 着飾ることをしないし
女性の芯に当たる「性」の部分は
着飾ることが不可能である
その着飾らない自分に 語りかける旅に
皆さんをお誘いするのだ
ひとりひとりが 自分自身に向き合い
自分に対して 「嘘をつかない」と
そう誓うことができる旅に
本土では長い時間をかけて 「信仰」が「宗教」にスゲ替えられた
つまり 民を「教化」するための政治的な材料にされてしまったのだ
これはいささか言い過ぎの感もぬぐえず
私たちはその教えを信仰して今日があるのだが
そこに存在している「神」と民の間に 何者かを介在させてしまったのだ
これが「嘘」の始まりかもしれないと思った
この地では 未だ
神と人とが 一対一の対話をする
さらに その神々たちは 「教化」をしないし
神々自身 何者かによって教化をされていない
筋の通った役目を持ってそこに存在する
だから民は 心に現れたことを そのまま神と問答するのだ
つまりそこには「嘘」が介在する余地などどこにもない
すなわち 大急ぎで 場面が変わってゆく
ついていた 突き通してきた「嘘」が祓われてゆく
古代から何も変わらない信仰の姿
その変化は 容赦の無い 問答無用の速度
嘘の無い女性は 何をしなくても 美しく
そして 他のどのようなものよりも気高い
ひとりひとりが 自身の魅力と可能性に触れるたびに
止め処なく涙が流れる
強く しなやかに 手弱女(たおやめ)になること
手弱女が益荒男(ますらお)を創り出すこと
これは約束なのだから その道を歩めばよいのだ
そうすると 少しずつ
世の中が変わってゆく
須佐厳


