とれとれピチピチ♀と元ピチピチ♀の二人は、

サンフランシスコでYAMAHAビラーゴ600を買い、

ロサンゼルスに向かって走り始めました。


ところで、サンフランシスコとロサンゼルスって

400マイル(約640キロ)も離れてるんですね。


なんとなく東京と横浜のイメージがあったのに、

実際は東京から岡山くらいの距離。

寄り道ばっかりしてる私たちは当然1日で着けるはずもなく、

途中でモーテルを探すことになりました。

それはアメリカに渡って10日目、ツーリングに出発して2日目の出来事。
まだ、旅にスレてなくて、

色んな人たちのアドバイスをしっかり守ってた頃です。

「暗くなる前に宿泊場所を確保すること」

「落書きの多い町には近づくな」

「モーテルを選ぶときは泊まってる人や停めてある車で判断せよ」

「ボコボコの車やコンボイ(でっかいトラックね)の多いモーテルは避けた方がいい」

「夜中にドアをノックされたら開けるな」

「夜、レストランやガソリンスタンドに行っちゃいけない」などなど。

それはもう、青い山脈に出てくる女子高生のように(喩えが古いよ!)

純情だったわけです。

ところが2日目。
インターステイツ(高速道)を走ってるうちに夕方になってしまったので、

とにかく目に入ったモーテルに飛び込もうということになりました。


田舎町で降り、狭い道をグルグル行った先で見つけた一軒のモーテル。
まるでバンガローのように一棟一棟独立していて、ちょっといい雰囲気。


さっそく相棒がフロントと交渉したのですが、なぜか表情が曇ってきました。

「『ここはあなたたちが泊まるような場所じゃない』って言ってます」

「えーー!?」


「もしかしたら…ラブホテル…かもしれません」
「ラブホテルって…」


この時、私が思ったこと。

(『ラブ』も『ホテル』も英語だから、フロントのオヤジには『愛情宿』って聞こえてるんじゃないか?)

そういう余計なことを考えていたので、肝心なことに頭が働かず。

「いいよ、ここで。 他に泊まるとこないし」
「そうですか。 じゃあそう言ってみます」

相棒の英語力の甲斐あってそこに泊まることになり、

バイクで敷地に入ったら・・・


あるわあるわコンボイの群れ。

いるわいるわハルクホーガン。


私たちがバイクで敷地内を移動するたびに、

ハルクホーガンAやハルクホーガンBやハルクホーガンCが、

ジイーーーっと目で追いかけてきます。

「バイク、ガレージの柱に繋いどこうね」
「そうですね。2台の前輪もチェーンで繋いだ方がいいですね」
「ナンバーカギ持ってたよね。念のためチェーンにカギかけてね」
「了解!」

2台のバイクを亀甲縛りのようにガチガチに縛って

モーテルの中に入ったら、

中はきれいで、シングルベッドがふたつ並んでいました。



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 【モーテル室内】


「ラブホテルじゃなくてさあ、ああいう男たちが泊まってるから断ってきたんじゃない?」

「ですねー」


「まあ、何があってもドアを開けなきゃいいわけだし」

「バイク、大丈夫ですよね?」

「あれで盗られたらしょうがないよ。それより人間の方が大事だし」

「ですね。命さえ取られなきゃいいです」

・・・そして翌朝。
何も起こらなかったことに安堵しながらモーニングコーヒーを飲み、

荷物をまとめて部屋を出ようとしたら…

カギが無い! 部屋のカギが無い!

荷物をひっくり返し、ベッドの下にもぐり、トイレの中まで探しても


カギが無い!

「しょうがないからさあ、フロントに謝って弁償しよう」
「そうですねえ。でも、どこで無くしたんですかねえ???」

「あんな大きなキーホルダーが付いてるんだから、見つからないわけないのねに」
そんなことを言いながら部屋を出たら、


あった!

ドアのノブにカギが差し込んだままになってた。
紫の大きなキーホルダーが、ノブから垂れ下がってた。

「もしかして、一晩、この状態だったわけ?」
「『ノックは無用』って感じですね」


「じゃあなに、ハルクホーガンたちは、私らの誘いを蹴ったわけ?」
「・・・いや、あんまり出来すぎだから、かえって警戒したんですよ」


「『これは何かの罠だ』って?」
「ええ」

とれとれピチピチ♀と元ピチピチ♀、

とりあえず「『これは何かの罠だ』と思われたから無事だった」と

いうことにしておきましょう。

それにしても、

亀甲縛りのバイクを元に戻すのにエライ時間かかってしまった。




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 【全国チェーンから個人経営までモーテルはいろいろ】




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【これは本文とは関係ない全国チェーンの『モーテル6』】

典型的なカジュアルモーテルで、1部屋25~35ドルくらい












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アメリカをバイクで走ろうと決めたのは97年の初めくらいだったか。

免許を取ったばかりの後輩と飲み屋でバイク談義をしているうちに


「どうせならアメリカ走りたいです」

「いいねっ!」


まるで奥多摩にでもツーリングに行くかのように

無謀に決まってしまいました。



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でも、肝心のバイクをどうやって調達したらいいのかサッパリ分かりません。
ネットなんて覗いたことも無かったあの頃、

雑誌や口コミで集めた情報と私の思考回路は以下の通り。



*アメリカにはレンタバイクは無いらしい。
     ↓
(自分のバイクをアメリカまで運ぼうかな)


     ↓
*船便往復でバイクが一台買えるくらいの輸送費が掛かる。
     ↓
(アメリカで売っぱらって輸送費半分浮かすか)

     ↓     
*自分のバイクを海外で乗る場合、

 「カルネ」という書類をJAFに提出して関税を免除してもらう。

 ただし、アメリカに持ち込んだときの姿で日本に戻さないといけない。

 電球1つ欠けてもダメ。
     ↓
(盗まれても事故ってもアウトじゃん)ヽ(ー_ー )ノ ムリムリ


     ↓     
*現地でバイク購入の代行をしている日本人業者もあるが、メチャ高い。
     ↓
(自分で何とかするしかない!)


ということで、国内のメーカー4社(H・Y・S・K)とハーレーに手紙を書きました。


「女性2人でアメリカツーリングを計画しています。

現地でバイクを手に入れるにはどうしたらよいでしょう」と。



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今だから正直に告白しちゃいます。
最初は「買い方を教えてください」だけのつもりだったんですが、

ポストに投函する頃にはすっかり妄想がふくらんでました。

「女ふたりが3か月のアメリカツーリング………

場合によってはメーカーのPRになるから、タダでバイクを貸してくれるかも」


「いや、スポンサーになってくれるんじゃないか」

「だったら、国産よりハーレーの方がいいな」

「ハーレーだと足が着かない恐れがあるから、一度試乗させてもらおう」etc…


3日後、K社の広報室(推定年齢34歳♂)から突然の電話。

「女性2人でアメリカツーリングですか!?」
(きたきた、予想通りの展開だ)

「アブナイからやめた方がいいですよ」
「えっ!?]
「車の方が安全ですし、レンタカーになさったらいかがでしょう」
「いや、バイクで走るのが目的なので…」

「PL法ってご存じですか?」
「(PL学園なら知ってるが) あ、ええ」

「メーカーは製品を安全に使用してもらう義務があるんです。アメリカは特にPL法に厳しいから…」
「(厳しいから?)」

「日本人の女性にバイクは売らないと思います」
「でも私、保険に入るつもりなんですが…(全然会話になってない)」
「保険? 保険も断られるでしょうね。バイクも保険も、お金さえ出せばどうにかなるってもんじゃないんです」

いや「お金さえ出せば」なんて思ってない。
できるだけお金掛けない方法を探してるの。ふたりともビンボーだし。



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バイクを買うのがこんなに難しいとは。

秘境ツアーの会社がやってる1週間とか10日のパックツーリングに、

女性ライダーがたくさん参加してるわけだ。


翌日、H社・S社・ハーレーからバイクカタログが届き、
ハーレーからは「いつでも手配しますよ」と電話が掛かってきました。

よかった! ハーレーは売ってくれる。
でも、一番安いバイクが19000ドル(230万)では。。。

さて、Y社。
実は私、20ウン歳までY社の社員だったんですが、退職してからかなり…、

いや、ちょっと時間経ってるからコネが効かない(と思う。たぶん)

だから、他の会社と同じような手紙を出したんですが、

ハーレーと同じ日に電話が掛かってきました。

聞けば、3000ドル台で600の新車ビラーゴを用意してくれるとのこと。
(日本で買うより安いじゃないか!!)

私はソッコーで飛びつきました。

「1時間後にロスのヒロ松井から電話を入れさせますので、

 詳しいことはそちらで聞いてください」

ヒロ松井? 二世? ハーフ?
電話は英語かな。参ったな。

「ハロー」の後は何て言ったらいいんだ。


1時間後
「ヒロ松井です。セローさん磐田出身!?  ボクは掛川です」


なんだよ、同県人じゃん。

結局、ヒロ松井氏がバイクも保険も、ツーリング後の売却も手配してくれました。


私たちはサンフランシスコで、担当のペーター氏

(こっちは英語…なので後輩の「ももんが」が交渉役)と会い、


保険の手続きをし、

バイク店でバイクを受け取り、

3か月のツーリングに出発しました。


1998年4月8日のことです。




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【サンフランシスコのホテル前で出発の荷造り】

写真では分かりませんが、すごい急坂です。

バイクが傾きすぎて、またがっても直立させることが出来ず、

この写真の後、平坦なところまで歩きました。


記念すべきアメリカツーリングの第一歩は「押し歩き」というオチ。



昔好きだったアーティストのツイッターを追いかけていたら

アメピグにたどりつきました。


まず服を買おうとショップを覗いたが

アメGは無いし

引換券も目に入らなかったので

最初にもらった服でお出かけ。


初めて行った場所はスケート場。



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白シャツ&水色スカートという昭和30年代の女の子のような格好は

ファッショナブルなアメピグたちの中では浮く浮く。


服も心も寒くて寒くて泣けてきたので、

松岡修造の近くで温まりました。


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翌日からカジノにハマり、夜中までスロット通い。

引換券で揃えたジュビスタファッションに

カジノでもらった帽子をかぶり

ギャンブル中毒のオヤジのように目をギラつかせて・・・



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ところがある日

満員のスロット場に入った途端


突然のバグ!


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ちょっとアップで見てみましょう



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なんと! 上半身が・・・ブラだけ


もう恥ずかしがる歳でもないが

(いや、これは恥ずかしいだろう)


こうして私のアメピグライフが始まりました。