この頃は、OpenAIのアプリSora2を使って動画を作成して遊んでいる。


経年書き溜めてきた詩やエッセイが沢山あるので、そこから絵になりそうなものを抽出し、各々をまんま放り込み、出来てきたものを見直しては、描写として分かりにくい叙述を補ったり、画面の表し方に注文を加えたりして作成している。


「まんま放り込む」とは言っても、もちろん、プロンプトに個人情報が晒される要素が入ってないかはチェックしているし、容易に投稿しはしない。


表したいことをたった10秒にまとめるなんて、とても難しい作業だ。複数作成し、クイックタイムで繋ぎ合わせるといった作業もしながら、10秒枠を広げてもいる。


どれだけ、元の詩やエッセイのイメージに近いものを作成出来るか、挑戦中。


ここには、表題にある先日書き記した日記で作成した動画を貼っておきます。(音声は抜いてあります。基本的に、音声は抜いて、後から自身で朗読したり歌ったりした音声を被せて作っています。)


(OpenAIの動画作成アプリSora2で作成)


近頃の日記『さびしくはない 切ないのだ』


・誰を頼ることも出来ないで彷徨い続ける夢を今日もみたと話す細君の話

・同じ通販サイトを何度も訪れてポチろうかやはりやめておこうと決めかねている優柔不断な自分の話

過去に出会った人とのつながりや、過去にやらかしてきたことの延長上に今日の自分がいるという事実に気付かされた映画を観た自分の話

・テレビでは「風待草」の話題が取り上げられ、それでも春は近づきつつあるのだと小さな喜びを感じた自分の話


近頃の日記

さびしくはない 切ないのだ



・誰を頼ることも出来ないで彷徨い続ける夢を今日もみたと話す細君の話

・同じ通販サイトを何度も訪れてポチろうかやはりやめておこうと決めかねている優柔不断な自分の話

・心落ち着かぬまま録音作業に向き合ってもう50回以上も簡単なギター・フレーズを録り直している神経質な自分の話

過去に出会った人とのつながりや、過去にやらかしてきたことの延長上に今日の自分がいるという事実に気付かされた映画を観た自分の話

(主題を浮き彫りにしていた70sB.G.Mの凄さ、ラストシーンで駅の「伝言板」に残されていたメッセージの切なさ

・散歩道ではまだ冷たい風に晒されてはいるが、テレビでは「風待草」の話題が取り上げられ、それでも春は近づきつつあるのだと小さな喜びを感じた自分の話






視力検査



遠くに連なる山々から

繰り返し冷風が頬に届く朝

イマ・ココにカメラを持ち合わせていないことをとても悔しく思う

コノ撮りたい気持ちこそが

山々がドンなかを伝える形容詞


低く垂れ込めた雲雲に白い粉を塗された山並み

コンな日だから

堤の途上に立ち止まり

ドコまで遠くまで

ソノ清かさソノまんま

コノ眼に焼き付けることが出来るか

視力検査を試みているのだ









ウルフムーン

月に吠える
何故吠える?

傍らにいたニャンコに尋ねた

大きなあくび で応えた

今年こそ 自分も 世界も
穏やかで平和な いい年になりますように!

2025年に撮影した写真を、チョイスしてスライドショーにしてみました。

(ブログ掲載の制約があり、ここには一部しか載せられませんが…)


社会的な時事を振り返ってメンションするためではなく、自分の生活や内面を振り返るために作成しました。


カメラを向けさせた対象の多くは、人物というよりも風景や光景でした。


淡々とした毎日に見えて、年甲斐もなく心振り回されたことも、結構ありました。


1枚1枚の写真は、ただの景色を捉えたものですが、折々の自分の心を確かに映し出しているように思います。



2026が、嬉しいことでいっぱいの年でありますように。

よいお年を! 



クリスマスも終わり、ますます年末らしくなってゆくなぁ。


今年夏頃に、『ザ.フォークシンガー』という短編小説を書いた。


「時が過ぎ去ってしまうことは悲しい、されど、いつまでも悲しさに耽溺するに留まらず、「閉塞感の中にも一抹の希望をもって生きていこうとする意思」を描きたくて書いた。

「昭和」という時代をひきずりながら今日を生きる古参のフォーク・シンガーと、彼と自分たちが生きた時代を支持し続けるファンとの間に漂う「空気」を描こうとした。

フォーク・シンガーとファンとの「対話」を語り進める「話者」は、「昭和」という時代に親しみをもちながらも、それを払拭しなければ生きてはゆけない令和の時代、その「正しさ」も理解し、物語を叙述している。

「昭和」の空気を深く呼吸した者ほど、時代に散りばめられた「悪習」を拭い去ることが出来ず、令和の時代のコンプライアンスに断罪されることになっている。


そうした時代が要請する「転向」を素直に受け入れられない「グレー・ゾーン」を生きる人たちの思いが、何らかの行動に転じる場面まで描くことが出来れば、「読ませる物語」になったのかも知れないが、そこまでは書けなかった。


短編小説『ザ・フォークシンガー』を、載せておきます。

自分にとってこのブログは「自分の日記のようなモノ」なんで、コメントは受け付けていません。

でも、興味ある方は、どうぞ。

OpenAIのSora2にテキストを読ませて出てきたショート動画も、最後に載せておきます。


では。



ザ・フォーク・シンガー

              ボブ・岩田


 開演時刻を一〇分も回った頃だろうか。ステージ中央にスポットライトが当たり、彼の姿が浮かび上がった。


 「開演前から楽屋で飲んでいる」ことなど、彼には何ら珍しいことではなかった。この日も、「バーボンのロックを何杯も飲んだ」状態で、彼は歌い出した。


 あの「昭和」という時代。 

 少しばかり酒を引っかけてステージに上がるフォーク・シンガーなんてザラにいた。ステージ上で歌っているうちに寝落ちしてしまう「ブルース・マン」だっていた。

 観客にしても、歌い手の表現や歌詞に対して良し悪しと評価したがる風潮はあったものの、歌い手が曲間に口にする「バカヤロウ!」などの暴言や、しばしば放たれる下ネタの一つ一つを捉えて、「けしからん!」などと抗議するような輩はいなかった。時代の空気にそぐわなかったのだ。

 不寛容な今のこのご時世においては想像し難いことだが、かの時代には、そんな空気が、場末の酒場に漂うタバコの煙のようにふわっと、そこに流れていた。

 彼はそんな時代を潜り抜け、今晩もこのライヴ・ハウスのステージに立ち、「昭和」を曝け出している。


 ファンというのは、どこまで寛容でいられるのだろう? …もはや醜態を晒しているとしか思われない今夜の彼のステージにも、一部始終熱い視線を注ぎ続けている。

 「破天荒なアーティストなのだから…」「この個性でここまでやって来た人なのだから…」と呟き、「自分が信じて来たものに間違いはない」と自分に言い聞かせてでもいるのか、ありのままの彼を受け容れている。

 「何でこんな話ばかりしているのかなあ?…うん、『老人には、もはや過去しかない』ってことなんだろうね。」…喉を見せてぐいと酒を喉に流し込んだ後に、彼はそう言って笑った。



 最前列の席にいる白髪の男は、静かに頷いていた。彼の眼の奥に映っているものは、何なのか?

 若い頃、溝が擦り切れるまで聴いたレコード。タバコの煙にむせながら、この国のイマとミライについて仲間と語り明かした夜。この一人の歌い手が自分に与えた影響について。…そのすべてが、まるで昨日のことのように、映し出されていた。


 歌い手は、ステージの上から客席に向かって、滔々と話を続けた。もはや彼の楽曲は、「語りの間に差し込まれる飾り」のような存在になっていた。それでも誰一人として、文句を言う者などいなかった。目の前に立っているのは他でもない、「自分自身の時間そのもの」だったからだ。


 「昔はね、時間なんて、無限にあるものだって思っていたよ。どんなことでも何度だってやり直しが出来るものだって思っていたんだね。でも、ある日、ふと気がつくんだな。…今というのは、二度と戻っては来ないものなんだって…。」


 マイクを通すことをせず、彼はかすれた声を響かせ続けた。シンと静まり返った場内に、彼の言葉だけが、ぽつんぽつんと落ちてゆく。拍手をする者はいない。笑う者もいない。ただ、彼の話を追いかけるように、時間だけが過ぎてゆく。


 「気がついた時には、仲間も、お客さんも、歌も、時代も、みーんなね、いなくなっちまったんだな。」


 コップの中で、パチンと氷が弾ける音がした。

 「過去には戻れないんだけどね、だけど、今でも、『あの頃が俺の中にある』ってことだけは、確かなんだよね。」

 誰かが小さく頷き、何人かがそれに呼応した。


 彼らは今日もまた、こうして歌を聴きにやって来た。ここに来れば、今日という日まで長い時系列の中に確かに存在した、「忘れてはならない何か」に出会える、そんな気がするのだ。
 ステージの彼は、ギターの弦の一本一本を丁寧に鳴らしていた。そのチューニングは、明らかにズレている。しかし、そのズレもまた、ギターや彼の「年季」を実感させる、大切な音として、その場に響いていた。


 「まだ歌いたい歌があるんだよ。いや、『これから』作るんだ。『これから』だよ。」


 静かなざわめきが、客席に生まれた。

 「今さら、誰に聴かせようというわけでもないんだけどね、それでも、俺がこれまで生きて来た意味は、これから作る歌に宿っていくんじゃないかって思うわけさ。」
 「レジェンド」が今、目の前で『自分の現在の立ち位置』を示している。


 「いつだって、『これから』が『これまで』を決めるんだよ。…そうだろう?」


 照明が少しだけ明るくなり、彼の背中が少しだけ伸びたように思われた。

 観客の誰かが小さく両手を打つと、他の人たちの拍手もそれに続いた。その拍手は、「彼の『これから』を祝う拍手」であった。いや、「彼の…」ではなく、それは、「我々の『これから』を祝う拍手」であった。

 彼の指先が、震えている。その震えは、老いによるものではない。まだ何かを伝えたい、まだ何かを作り出したいという、彼自身の不屈の思いが、空気を振るわせているのだ。

 その場にいる誰もが、それをひしひしと感じ取っていた。


 暗がりに目を凝らしてみると、観客の一人に、胸を押さえて嗚咽を上げている者がいるのが分かった。その男は、若き日の自身のことを思い出していた。自信に満ち、過ぎてゆく時間に何の恐れや不安を感じることもなかったあの頃。今ここにいる自分は、そんな時代の延長線上に生きているのだという気付きが、この胸を締め付けている。そして、目の前にいるのは、そんな時代を共に過ごして来た人物なのだ。

「でも、『これから』なんだよ、俺は…。」   

 しばしの沈黙があったが、それを心地よく感じられたのは、会場にいる誰もが自分の心にしっかり向き合いながら、彼の存在に触れていたからだろう。彼の歌は一層鮮明なものとなって、どこか温かい光を放っていた。彼の声は少し震えていたが、それがゆえに、その場にいる人の心に確かに届いていた。彼の一言一言は、すべてを包み込むように、また、すべてを肯定するように響いていた。聴いていた者の誰もが、そう感じていた。


 時が過ぎ去ってしまうことは悲しい、されど、いつまでも悲しみの中に留まっているわけにはいかない。ここで光っている『一抹の希望』と共に、『これから』を生きてゆくのだ。

 最後に残るのはこの瞬間、この音楽であるという確信が、観客の心に灯った。




先般、ChatGPTとの対話を通して、自作曲『一休禅師のうた』の歌詞の世界を劇画で描き、このブログにも載せたが、今回、Soraを使ってショート動画を作ったら、こんな感じになった。

イメージを擦り合わせるのに数回動画を作り直すことになったが、およそ、ねらいは達成出来たように感じた。



※短編小説およびショート動画著作権は、ボブ・岩田に帰属します。

OpenAIのアプリSora2を使って、自作曲のショート動画を作成してみました。

どうでせう?

 

 

鳥獣戯画(甲巻)のうた

 

今を去ること 900年

日本で最初の 漫画家が

生きとし生けるいのち描かんと 筆を執る

絵筆の先に 動物たち

眼(まなこ)きらきら かがやかせ

幾歳も幾歳も幾歳も 観察を重ねる

 

映し出されていたのは 人間(ヒト)の営み

そうか ようやく わかったと

絵巻の紐解き 今 駆け出した

 

さあ、思い切り 暴れまわれ

きみたちの舞台だ

鏡となって 世を映せ

 

みみみみみみみみ水遊び ゆゆゆゆゆゆゆゆ弓大会 

おおおおおおおお大相撲

田楽から お葬式まで

まままままままままねてみた

なるほど コレが 人間(ヒト)の営み

 

こどもの遊び とても愉快

大人の儀式 これもこっけい

イツまでもイツまでも ココにいて

時を 忘れていたいな 

 

さあ、思い切り 暴れまわれ

きみたちの舞台だ

鏡となって 世を映せ

 

そろそろ巻物に 戻る時だ

おれたちゃ室町の のけものだものな

また逢う日まで  I Say Good-bye

また逢う日まで  I Say Good-bye

 

 

 

 

 

OpenAIのアプリ『Sora2』で作成しました。

クリスマス・ソングです。

 

『10秒動画』作成の話。

自作詩を一編丸ごと読み込ませてみたり、いくつかの節を切り取って読み込ませてみたり、言葉に装飾を施してより伝わる言葉に置き直したりして、aiが提示してくる動画の中から自分が意図したイメージに一番近いものを探す作業をしています。

 

今回は、そんなふうにして出来てきた何種類かの『10秒動画』から3枚程を選んで、1枚に貼り合わせてみました。だから、10秒以上あります。

 

いやはや、多くの人に共有できるイメージを作るって、なかなか難しいですね。

日頃、どれだけ「独善」の中に生きているかを思い知らされます。


 

 

 

今朝空を見上げると 飛行機雲
ココ(自分ん家)から撮ってたんじゃ
とてもフレームに収まんないな

冬の寒い日にできる
あと一週間で師走だもんね





Scott Cooper監督映画『Springsteen: Deliver Me From Nowhere』(邦題:『孤独のハイウェイ』)を観てきた。

「精神のドキュメント」とも言うべき、重々しくも、感動的な映画だった。

 

ブルースの宅録ローファイ音そのままを再現することへの拘りや、

父の理解、自分自身の理解、その過程に、震えた。

 

内面の深くに入り込んでくる映画だった。