クリスマスも終わり、ますます年末らしくなってゆくなぁ。
今年夏頃に、『ザ.フォークシンガー』という短編小説を書いた。
「時が過ぎ去ってしまうことは悲しい、されど、いつまでも悲しさに耽溺するに留まらず、「閉塞感の中にも一抹の希望をもって生きていこうとする意思」を描きたくて書いた。
「昭和」という時代をひきずりながら今日を生きる古参のフォーク・シンガーと、彼と自分たちが生きた時代を支持し続けるファンとの間に漂う「空気」を描こうとした。
フォーク・シンガーとファンとの「対話」を語り進める「話者」は、「昭和」という時代に親しみをもちながらも、それを払拭しなければ生きてはゆけない令和の時代、その「正しさ」も理解し、物語を叙述している。
「昭和」の空気を深く呼吸した者ほど、時代に散りばめられた「悪習」を拭い去ることが出来ず、令和の時代のコンプライアンスに断罪されることになっている。
そうした時代が要請する「転向」を素直に受け入れられない「グレー・ゾーン」を生きる人たちの思いが、何らかの行動に転じる場面まで描くことが出来れば、「読ませる物語」になったのかも知れないが、そこまでは書けなかった。
短編小説『ザ・フォークシンガー』を、載せておきます。
自分にとってこのブログは「自分の日記のようなモノ」なんで、コメントは受け付けていません。
でも、興味ある方は、どうぞ。
OpenAIのSora2にテキストを読ませて出てきたショート動画も、最後に載せておきます。
では。
ザ・フォーク・シンガー
ボブ・岩田
開演時刻を一〇分も回った頃だろうか。ステージ中央にスポットライトが当たり、彼の姿が浮かび上がった。
「開演前から楽屋で飲んでいる」ことなど、彼には何ら珍しいことではなかった。この日も、「バーボンのロックを何杯も飲んだ」状態で、彼は歌い出した。
あの「昭和」という時代。
少しばかり酒を引っかけてステージに上がるフォーク・シンガーなんてザラにいた。ステージ上で歌っているうちに寝落ちしてしまう「ブルース・マン」だっていた。
観客にしても、歌い手の表現や歌詞に対して良し悪しと評価したがる風潮はあったものの、歌い手が曲間に口にする「バカヤロウ!」などの暴言や、しばしば放たれる下ネタの一つ一つを捉えて、「けしからん!」などと抗議するような輩はいなかった。時代の空気にそぐわなかったのだ。
不寛容な今のこのご時世においては想像し難いことだが、かの時代には、そんな空気が、場末の酒場に漂うタバコの煙のようにふわっと、そこに流れていた。
彼はそんな時代を潜り抜け、今晩もこのライヴ・ハウスのステージに立ち、「昭和」を曝け出している。
ファンというのは、どこまで寛容でいられるのだろう? …もはや醜態を晒しているとしか思われない今夜の彼のステージにも、一部始終熱い視線を注ぎ続けている。
「破天荒なアーティストなのだから…」「この個性でここまでやって来た人なのだから…」と呟き、「自分が信じて来たものに間違いはない」と自分に言い聞かせてでもいるのか、ありのままの彼を受け容れている。
「何でこんな話ばかりしているのかなあ?…うん、『老人には、もはや過去しかない』ってことなんだろうね。」…喉を見せてぐいと酒を喉に流し込んだ後に、彼はそう言って笑った。
最前列の席にいる白髪の男は、静かに頷いていた。彼の眼の奥に映っているものは、何なのか?
若い頃、溝が擦り切れるまで聴いたレコード。タバコの煙にむせながら、この国のイマとミライについて仲間と語り明かした夜。この一人の歌い手が自分に与えた影響について。…そのすべてが、まるで昨日のことのように、映し出されていた。
歌い手は、ステージの上から客席に向かって、滔々と話を続けた。もはや彼の楽曲は、「語りの間に差し込まれる飾り」のような存在になっていた。それでも誰一人として、文句を言う者などいなかった。目の前に立っているのは他でもない、「自分自身の時間そのもの」だったからだ。
「昔はね、時間なんて、無限にあるものだって思っていたよ。どんなことでも何度だってやり直しが出来るものだって思っていたんだね。でも、ある日、ふと気がつくんだな。…今というのは、二度と戻っては来ないものなんだって…。」
マイクを通すことをせず、彼はかすれた声を響かせ続けた。シンと静まり返った場内に、彼の言葉だけが、ぽつんぽつんと落ちてゆく。拍手をする者はいない。笑う者もいない。ただ、彼の話を追いかけるように、時間だけが過ぎてゆく。
「気がついた時には、仲間も、お客さんも、歌も、時代も、みーんなね、いなくなっちまったんだな。」
コップの中で、パチンと氷が弾ける音がした。
「過去には戻れないんだけどね、だけど、今でも、『あの頃が俺の中にある』ってことだけは、確かなんだよね。」
誰かが小さく頷き、何人かがそれに呼応した。
彼らは今日もまた、こうして歌を聴きにやって来た。ここに来れば、今日という日まで長い時系列の中に確かに存在した、「忘れてはならない何か」に出会える、そんな気がするのだ。
ステージの彼は、ギターの弦の一本一本を丁寧に鳴らしていた。そのチューニングは、明らかにズレている。しかし、そのズレもまた、ギターや彼の「年季」を実感させる、大切な音として、その場に響いていた。
「まだ歌いたい歌があるんだよ。いや、『これから』作るんだ。『これから』だよ。」
静かなざわめきが、客席に生まれた。
「今さら、誰に聴かせようというわけでもないんだけどね、それでも、俺がこれまで生きて来た意味は、これから作る歌に宿っていくんじゃないかって思うわけさ。」
「レジェンド」が今、目の前で『自分の現在の立ち位置』を示している。
「いつだって、『これから』が『これまで』を決めるんだよ。…そうだろう?」
照明が少しだけ明るくなり、彼の背中が少しだけ伸びたように思われた。
観客の誰かが小さく両手を打つと、他の人たちの拍手もそれに続いた。その拍手は、「彼の『これから』を祝う拍手」であった。いや、「彼の…」ではなく、それは、「我々の『これから』を祝う拍手」であった。
彼の指先が、震えている。その震えは、老いによるものではない。まだ何かを伝えたい、まだ何かを作り出したいという、彼自身の不屈の思いが、空気を振るわせているのだ。
その場にいる誰もが、それをひしひしと感じ取っていた。
暗がりに目を凝らしてみると、観客の一人に、胸を押さえて嗚咽を上げている者がいるのが分かった。その男は、若き日の自身のことを思い出していた。自信に満ち、過ぎてゆく時間に何の恐れや不安を感じることもなかったあの頃。今ここにいる自分は、そんな時代の延長線上に生きているのだという気付きが、この胸を締め付けている。そして、目の前にいるのは、そんな時代を共に過ごして来た人物なのだ。
「でも、『これから』なんだよ、俺は…。」
しばしの沈黙があったが、それを心地よく感じられたのは、会場にいる誰もが自分の心にしっかり向き合いながら、彼の存在に触れていたからだろう。彼の歌は一層鮮明なものとなって、どこか温かい光を放っていた。彼の声は少し震えていたが、それがゆえに、その場にいる人の心に確かに届いていた。彼の一言一言は、すべてを包み込むように、また、すべてを肯定するように響いていた。聴いていた者の誰もが、そう感じていた。
時が過ぎ去ってしまうことは悲しい、されど、いつまでも悲しみの中に留まっているわけにはいかない。ここで光っている『一抹の希望』と共に、『これから』を生きてゆくのだ。
最後に残るのはこの瞬間、この音楽であるという確信が、観客の心に灯った。
先般、ChatGPTとの対話を通して、自作曲『一休禅師のうた』の歌詞の世界を劇画で描き、このブログにも載せたが、今回、Soraを使ってショート動画を作ったら、こんな感じになった。
イメージを擦り合わせるのに数回動画を作り直すことになったが、およそ、ねらいは達成出来たように感じた。
※短編小説およびショート動画の著作権は、ボブ・岩田に帰属します。