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思い出す4階

 毎日同じ景色だけを見ていると、三次元から二次元へと、いつの間にか自分が移動させられることに気づく。

 はじめははっきりと輪郭と立体感を持ったマンション群も、繰り返し繰り返し眼球から神経を通して脳に伝達させているうちに、どんどん平面的になっていく。目に映るマンションが、実はハリボテの舞台セットのように思えてくる。確かめに行きたいけれど、この六畳の小さな部屋から出ることのできない私には、それができない。だから、ハリボテの疑念は拭い去ることができない。


 私はかれこれ2年以上、この5階建てのマンションの一室に押し込められたままである。体が満足に動かなくなり、息子は私を介護施設に入れようとしたが、息子の経済に合った介護施設はどこも満員で私の入る余地はなかった。それで、この安普請のマンションの一室を宛がわれ、私は「介護」されることになった。

 私が受ける「介護」は、徹底的に手抜きであった。一週間に一度、息子の嫁がここを訪れて、インスタントや冷凍の食品を大量に置いていく。溜まったゴミを指定曜日を無視して出し、それで嫁は帰っていく。部屋の中であれば何とか動きまわれたから、私は手足を引きずって、自分の手で電子レンジや湯沸かし器を使い、食事を用意しなくてはならなかった。掃除をする気力はなかったから、この2年で部屋はかなり汚くなった。トイレに行けずに用を足してしまったこともあり、万年床になっている蒲団からはすえた嫌な臭いがした。


 満足な娯楽を与えられずにこんな部屋にずっとこもっていると、過去を思い出すことに頭を使うようになる。それは単に「思い出」という言葉で片付けられる代物ではない。思い出した物事は、徹底的に脳内で再構築され、リアリティを肉付けされる。思い出がこちらの手を離れて動き出すのを、私は待つ。やがてゼンマイが巻かれたみたいに、思い出が独り歩きを始めて、ようやく私の作業は完了する。あとは、その映画が何を映し出してくれるのか、一観客として、楽しむばかりである。

 この「思い出劇場」の素晴らしいところは、結末が書き換えられることだ。たとえば、学生時代に告白した思い出であれば、実際にはフラれているにも関わらず、思い出劇場では見事デートに行くことになる。稀に悪い方向に転ぶこともあるが、多くは私の願望を反映してか、過去の非情な事実がハッピーエンドに変換される。

 いつの間にか、私は窓から見えるマンション群よりも、この思い出劇場に現実感を覚えてしまっていた。


 入居した当初は静かだったこの部屋も、今ではとても賑やかだ。私の脳内で生まれ、手足が生え、自由に歩き始めた思い出劇場たちの足音が、絶えず聞こえてくるからだ。彼らは六畳の狭い部屋を縦横無尽に闊歩する。まるで私の代わりに、というように。それが私には大変嬉しいのである。私が死んでもこの部屋で彼らが歩き回っている様子を想像するだけで、私はぞくぞくする。

5階への引っ越し

 どれくらいの高さであれば、人は死ぬのだろうか。マンションの2階、3階程度では怪我することはあっても、余程打ちどころが悪くなければ死ぬことはないだろう。反対に、10階からならほぼ間違いなく即死で、たまたま植え込みに落ちたとか、そういう偶然を味方につけて、ようやく生き残る可能性が出てくる。

 では今僕のいる5階という高さは、どういうことになるのだろう。ベランダから覗き込めば、確かに少し背中に冷たいものが走る心地だが、案外足から落ちれば、骨折程度で済みそうな気がする。実験すれば答えはわかるだろうけれど、実験台候補はこの六畳一間には僕以外にいないようで、とても実行する気にはなれない。


 日が暮れてきたので、ベランダから部屋に戻った。ふと音楽を聴こうと思ったが、高く積み上がった段ボールの山を見たら、お目当てのCDを取り出す気力も失せた。代わりに引っ越したその日に買ったテレビを点けた。適当にザッピングして、水戸黄門の再放送で落ち着いた。


 テレビを一緒に運び入れた父は腰を押さえてうんうん唸っていた。「俺はちょっと休むから、お前配線しとけ」と指示を出し、まだ家具も何もないがらんどうの部屋の隅に、父は腰を下ろした。

 僕が一人でテレビの配線を始めると、父はぽつぽつと独り言を吐いた。「今日は雨が降らんでよかった」「この辺は飲み屋が多いなぁ」父はよく独り言を言う人だったから、僕はそれらを無視して作業に没頭した。

「この高さから落ちたら死ぬんかな」

 その一言はさすがに聞き逃せず、思わず振り返った。そこにはベランダの手すりに寄りかかって下を覗き込む父の姿があった。僕の視線に気づいたのか、父もこちらを向いて、「立派なもんだ。こんな高いところに家があるっちゅうのは」と加えた。

 我が家は昔ながらの一階建ての平屋だった。大工だった祖父が自分の手で建てたものらしい。そのせいで、ずっと二階建ての友達の家が羨ましく、今回の引っ越しでもなるべく高い階の物件を探した。父は「そんなもん偉そうに見下ろすようなところに住まんでもいい」と反対したが、母の「地震が来たときに潰されるんはこの子ですよ」の一言でようやく収まったのだった。しかし、この様子を見ると、父にも高いところへの憧れみたいなものがあったらしい。

 父はその日のうちに田舎に帰っていった。


 大学で初めてできた友達を家に招いた。僕は初めての来客にちょっと気持ちを上ずらせながら、鍵穴に鍵を差し込み、ドアを開けた。その友達は割とデリカシーのない奴で、部屋に入るなり「狭いな、この部屋」と言い放った。僕はむっとして、心の中、「ここは5階だぞ。立派なんだぞ」と何度も言い返した。