別にいい話しでも、ポジティブな話しでも、ネガティヴな話しでも、昔があったから今がある、みたいな、キラキラした話題でもなく。

ただ。
ふっと。
書こうと思った話し。


まずは。
美しい景色でカモフラージュしてから。←なにをよ。

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先日、ふと。
昔のことを考えていたわけです。


で。
そいえば、通知表、母が昔からの残してくれていたなと。
久々に見たわけです。
小学生のときから高2のときまでのがあるのです。←高3のはわたしが失くしてしまった。

小学生のときの通知表を見たわたしは。
愕然!



以前。
誰かが言っていて、耳に残っていた言葉。


『子どものとき、勉強もできなくて、体育もできないコはどうしていたんだろうか。
昼休みにやるドッチボールとかのチームわけで、選ばれずに最後まで残っていたコはどう思っていたのだろう。今思うと、胸が痛いなぁ。』


さて。
わたしの小学生のときの通知表を一学年分だけご参照ください。
小3のときを抜粋。




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ひぃぃぃぃ。
しかも、授業中にふざけてたとか反抗的とかではなく、マジでやって。

算数、『1』です。

どの教科も、まったく取り柄がないわけです。

上記のセリフのコは、わたしだよ!!
聞いたとき、あまりにもわたしのこと過ぎて昔は他人事のフリしてましたが。


わたしのことだよ!!


なにげなく、通知表を見返して。
いきなり。
怒涛のごとくよみがえる、過去の感覚。

(『1』は、このときが最初で最後ですが、他は大体こんなもんです。)



なんの取り柄もなく、昼休みのドッチボールのチームわけに最後まで残ったコ。
班作りのときに、班長だけが集まって誰をどこの班に入れるか先生と会議するときに、最後まであまって、先生が班長の友達に『ぽんちゃんをその班に入れてあげてくれる?』と言われたあまったコ。←なぜ、その秘密の会話を知っているかというと班長の友達当ケンカしたときに教えてくれたから。←今、もう一度聞き返したら、ケンカのときだったから、あれかもしれないけど。







まぁ、いいや。

当時。

わたしはね。



幼稚園の時から。



ずぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと。



劣等感と。
こんな自分じゃなかったらと。
惨めな気持ちと。
居心地の悪さと。
自分が恥ずかしいという気持ちと。
明るくならなきゃって気持ちと。
自己嫌悪と。
自分に対する吐き気と。
自分は嫌われ者だということを。


そういうのを。
身体中で感じてたよ。←わたし視点。




わざと明るく振舞ったり←わざとだから、うまくいかない。
わざと傷ついてないふりして強いふりしたり。



そうやって。
取り柄がない自分を。
弱い自分を。
傷ついてた自分を。
平気なフリして周りにはバレないように。

それ以上傷つかないように守ってた。
それに、恥ずかしかったから。



バカだから、繊細なことは感じないはずだと思ってた。←発想、、、。


勉強は小3くらいまで。
先生の言ってる言葉が日本語に聞こえなかった。
なに言ってるのかわからなかった。

日本語はわかるけど、先生の授業の話しがわからない。

算数の文章問題になると、もはや、なにを言ってるのか、さぁぁっぱりわからん。
今でも、文章問題を見る機会があって見ると、小学生の問題でも、日本の文章がわからない。



でね。
考えてたわけです。


あの時のわたしに、なんて言葉をかけてあげたらいいんだろうって。

内弁慶で。
自信がなくて。
すぐに萎縮しちゃって。
怖がりで。
勉強も体育も図工もできなくて。
提出物も出せなくて。
集中力もないから、ノートも1時間書き移せなくて。
焦るけど、どうしたらいいかわからない。
毎日、そうやって生きていた、小さなわたしに。


なんて、言葉をかけてあげたらいいんだろうって。



あなたのままでいいとか。
勉強なんて出来なくていいとか。


そんなのは、あの時のわたしには通じない。


いい言葉を思いついたら、教えてください。



わたしが思ったのは。

かける言葉はないなって。

どうしたって。

萎縮のほうが強すぎて。
褒め言葉さえ、あっというまに、劣等感に飲まれてしまうあのときのわたしに。
言葉が思いつかない。


あの時のわたしは。
生きて、生きて。
現実逃避が、自分の好きなものを見つけるきっかけになったり、それに支えられて、それが得意なものになっていったり。


そうして。
自分の好きな世界、好きなもの、優しい人たち、自分に優しい生き方に出会っていって。
少しずつ。
あのひどい劣等感から抜けていくしかないなぁと。

そして、月日に経験に歳を重ねていくうちに。
自分の性格を知って、他人の経験談を知って、ほっとしたり、受け入れたりしながら、受容できることが増えて。
しあわせに、生きやすくなる。
それしか思い浮かびませんでした。


つまり、それが、今のわたしであり。

これからも自然と受容と経験を経て変容していくのだろうと。←いい方向に変容したいね


わたしは、今でいうと、軽いADHDだったのかもしれないと思っています。


大人になっても、社会に馴染んで生きやすいとは思えないけど。
それは、わたしだけではないでしょう。
程度の差は知りませんが。




ちなみに。
なぜか、小6あたりから、だんだん勉強がわかるようになりはじめ。

高校は、近所の普通の高校に入り、偏差値50の。
なんかわからんが、高校生になったらいきなり問題がわかるようになり。
少し成績があがりました。
まぁ、普通くらいになった。

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高2から本格的にパニック障害がえらこっちゃになったので、高2の思い出はあまりなし。

ただ、追試と留年は避けようだけでどうにかやってました←試験をもう一回受けたくない!もう一年学校に行きたくない!という気合い。

←欠席日数、限界まで欠席したわたくし。
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なんか。
昔のわたし。
頑張ったなと思います

つーか。
通知表で自分を語るのってナンセンスな感じがしますね。

ふふふ。

でも、まぁ、まだ劣等感はあるから、それはしょうがない。
それでいいんだよ


なでなで
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では、わたしの歌で、
また〜〜。