私たち人間の精神は常に「解釈」により影響を受けそれにより実行動に至ります。


同じ事実を目の当たりにして人は人によりそれぞれ異なる解釈をします。


晴れた雲ひとつない快晴の日に喜び明るい気持ちで外に出かけ小麦色に日焼けしたいと考える人もいれば、日焼けすることを気にかけ日光を避け、憂鬱な気持ちで自宅にこもる人もいます。


このように私たち人間は事実ではなくその解釈により影響を受け自身の行動を決めているわけですが、私たちは往々にしてそれを理解出来ず、不都合が生じた時に自身の解釈を変えずその事実を変えようとしてしまいます。



桜の木は一年に1メートル成長しますがクスノキは一年に50cmしか成長しません。


ヒヨコは5ヶ月ほどで鶏となり卵を産みますが人間が肉体的に成長するまでには約20年かかります。


更に人間の場合、精神の成長となれば肉体が60歳でも5歳児程度の幼児と変わらない精神年齢の方々もいます。


私たち人間は往々にしてそれらを正しく解釈出来ず、事実を変えようとしてしまいます。


クスノキは桜の木の半分のスピードでしか成長出来ません。


人の肉体年齢の成長はそれぞれほぼ同じであるにも関わらず精神年齢の成長は人により大きく異なります。


それにも関わらず私たちはクスノキは桜の木と同じ速さで成長すべきであるとし、人間の肉体年齢と精神年齢は同じであるべきと決めつけ、更に精神的に未成熟な大人に対し肉体年齢相応の精神性を求め、そうなれない者に対し苛立ち、怒り、負の念を向けてしまいます。



私たち人間に影響を与えているのは事実ではなく認識と解釈であります。


事実とはある意味では自然の法則でありそれは私たち人間のコントロールと人智を超えた領域のものでもあります。


にも関わらず私たちはその変わりようのない事実を変えようとし、苦しみ、そしてそれが出来ないことに対し負の感情を抱きます。



変えるのは事実ではなく私たちの認識と解釈であるということについて


私たちが苦しむのは変えることの出来ない事実を変えようとし自然の法則を正しく認識出来ず正しく解釈しないからであることについて


更に、変わらなければならないのは自分自身であるにも関わらずそれを棚に上げ相手を変えようとするから私たちは苦しむのだということについて


これらを正しく理解し認識した時、私たちはそこで初めて成長の階段にその一歩を踏み出し次の高みを目指せるようになるのではないでしょうか。




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