私たち人間が価値を置くとされる能力には「学業の能力」や「お金を稼ぐ能力」などがありますが人生においてもっとも重要な能力は「苦悩する能力」と言われます。

 

なぜ自分は苦しいのか、その苦しみの意味を考えそれにどう向き合うか、苦悩の中で気づく能力、それにより他者の心の痛みが分かり人は成長します。

 

しかしながら私たちの多くは学業の成績が良く偏差値の高い大学を卒業してより多くのお金を稼ぐことが価値のあることとし、今やネットや書籍を見れば「苦労は要らない」といったような情報発信で溢れています。

 

身体の健康を害したり、年老いたり、これまで当たり前としてきたことが当たり前でなくなり、肉体と精神の痛みなど苦しみを体感し人はその有り難みと感謝を知るものですが、その一方でそれが出来ず愚痴や不平不満と恨み節でその人生を終える人もいます。

 

苦悩というのはそれ自体は誰しも経験することではありますがそれを活かし自己の成長につなげることは個々それぞれが持つ能力のひとつであり誰にでも出来るというものではなく、人は苦悩の中で自らの気づきを得る能力を養い感謝と他者の心の痛みを理解し成長の道を歩みます。

 

物質を得ることによる幸せは「否定的幸福」と呼ばれ、それとは対象的であります苦悩の中で気づく目に見えない「心の幸せ」は同じ幸せでも上位に来るものとされています。

 

私たちの日常社会では我が身を守るために人に気に入られることに重きを置き職場での上司など他者に迎合し偽りの自分を演じる毎日を送りますがそれはある意味では本来の自分自身に対する裏切りでもあるのかもしれませんがその苦悩から学ぶことが出来る人と出来ない人がいるように思います。

 

自身が経験し体感したその苦悩から人の心の痛みが分かるようになりやがて自身が他者に影響を与える立場となった時にはそれを活かすことにより思いやりという愛を持って人と接することが出来るようになります。

 

苦悩するということは一見誰にでも出来そうですが実際はそうではなくそれには"正しく考え"苦しみ悩む必要があります。

 

能力とといえば一般的にはスポーツや芸術、学業の成績が優秀であるとか人よりお金を多く稼ぐことが出来るということを連想しますが、苦悩から学びを得ることも能力のひとつであり、むしろその能力こそ人生においてより価値のある能力ではないでしょうか。

 

 

なぜ自分の人生は苦しいのか。

 

多くを手に入れたのになぜ自分の心は満たされないのか。

 

もしかしたら自分は既に満たされておりその有り難みを自覚できておらず感謝出来ていないだけではないのだろうか。

 

 

それすら考えることもなく、ただなんとなく一生を終える人々が大多数であるように思います。

 

アドラーは"苦悩能力のある人だけが苦しみは解放と救済に通じる"とし、フランクルは"指導は苦悩能力の確立である"としています。

 

私たちの人生において正しく考え、悩み、苦悩するという能力についてどれだけの人々がそれが能力のひとつだということを認識してそれに意識を向け、取り組み、自己の気づきと学びに繋げることが出来ていることでしょうか。

 

 

 

・・・