私がこれまでに驚かされてきた人間性や思想の違いを最も感じたのは西洋人でもなくアジア人でもなく、それは同じ日本に住む日本人に対してのその違いとなります。
日本と関わりの深いアメリカ人などにおいてはその国内でさえ多くの民族が混ざり合い多種多様な考えや生活習慣の違いから「私たち日本人と違って当然」と考えることにより私たち日本人は彼らの行動にある種納得してしまうことがあります。
しかしながら「同じ日本人でありながら」自分とはまったく異なる感性と価値観でいる方々を見ると国外の方々のそれとは比較にならないほど驚かされることが多々あります。
「なぜそこまで自己中心的になれるのだろう」
特にそう思わされることが多く、それは彼らの人格を否定するわけではなくその思考や意識というものがどのようなものでありどこからそれが来るのかという疑問になります。
私の場合はこのように日頃から難しい難解な記事を書いているわけですが、これはどの読者層に向けての発信というわけではなく、自分自身の思うことを整理しながら書き綴ったものとなります。
ですから誰に対して分かりやすくと、そのように配慮しながら書いているわけではありません。
もし伝える相手の対象が限定しているならその方に分かるように合わせて書きますし、相手の理解度や個々のレベルに合わせて文面の内容や使用する語彙、そして文脈や展開なども工夫して表現します。
つまり、相手のレベルに合わせて話す内容も変えますし使う言葉も変えるというごく当たり前の話となるわけです。
ですが、今の世の中を見渡せばどうでしょうか。
日常を見ても伝える相手のレベルを無視したコミュニケーションが多く、そもそもそれは伝える相手を見ておらず、それどころか見ても相手の状況やレベルを把握することすら出来ない方々が情報を発信し受け手も受け手でそれをよく分からないまま鵜呑みにしていることも多いように思います。
見た目は同じ日本人同士の日本語を使った対話なのですが、私にはまるで日本人の肉体に入った宇宙人同士の会話ように見えることもあります。
「なぜこの人は分からないのだろう」
こちらはそう思い、そして相手も「この人は一体何を言っているのだろう」となり。
そこにお互い苛立ちや怒りが生まれ衝突が起き対立と分裂につながることも多くあり。
しかしながら私たちが「共存していくためには」この社会では「共通の認識」というものが必要であり、そしてまた「共通の社会性」というものを持ち合わせる必要があると思います。
勿論、個性としてのそれぞれの価値観を尊重し大切にしながらの前提であると思いますが、共存していく上での共通認識は必要不可欠であることに間違いはないと思います。
その土台となりますのが他に関心を持ち、他を思いやり、気づかう精神ではないでしょうか。
「そんな当たり前のこと」
そう思われる方々も多いと思いますが、そんな当たり前のことが出来ない人間が大多数を占めているのが私が見ているこの世界です。
国民性という言葉がよく使われますが日本人には日本人の共通認識というものがあると思います。
ですが、私の目の前に広がる景色は下記のようなもので埋め尽くされています。
他者を気遣うことに無関心
無気力
努力はしたくない(努力は古い考え方)
自己中心的
自分は悪くない(責任転嫁)
自分たちさえ良ければ良い(利己主義)
お金や物質など唯物主義
財産を多く持つ者 = 偉い
肉体年齢が上 = 偉い
身分肩書あり = 偉い
与えられるのが当たり前
他を思いやる愛の欠如
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すべてが当てはまるわけではありませんが、現代では上記の8割ほどの項目が多数の人間に当てはまるのではないでしょうか。
そして多くの人々がこのように言うでしょう。
「昔と違って今は何でもお金を支払わなければ事が成せない時代、金銭にある程度価値を置かなければ実生活が成り立たない」
「自分の家族のことだけで精一杯、理想は分かるが他者のことを助ける余裕などない」
このような声が聞かれると思います。
それは私も身を持って経験してきていますから痛いほど分かります。
ですが、何かおかしくないでしょうか。
「苦しみ、困っている人に気遣いの言葉ひと言」
その言葉を投げかけ励ましたり寄り添ったりすることにお金が必要でしょうか。
血のつながった近所に住む兄弟姉妹でさえ、弟や妹が困って苦しんでいても知らん顔。
両親に助けてもらっても子は知らん顔。
感謝の気持ちを返すのにお金が必要でしょうか。
ほんのひと言、
「ごめんね」
「ありがとう」
これがなぜ言えないのでしょう。
それには西洋も中東も東洋も人種も何もないと思います。
ましてや日本民族は礼節や恥を知る民族と言われますが、そのような方々は少なくとも私の周りには爪の垢程度にしか存在しないように思えます。
目の前に存在するのは日本人という肉体に宿る宇宙人なのだろうか
又はこれがよく言われる「魂の汚れ」というものによるものなのか
はたまた別の問題なのか
私は偉そうに言えるほど出来た人間ではありませんが。
そんな私でもそのようなことを考えさせられる日常の光景です。
・・・