外化(がいか)とは自分にとっての理想を他者に移すことであり、自分が感じていることを他者を通じて感じることである。

 

 

幼児的願望を満たされていない夫が妻に母を重ねその甘えの願望を妻で満たそうとする。

 

愛する人が苦しむ姿を見てそれに耐えられずに苦しむ自分の姿を愛する人に外化し相手を救けることで自己を満たそうとする。

 

 

これらはすべて自分に軸がある。

 

 

幼児的甘えの願望が満たされていない自分

 

苦しむ相手を見て耐えられない自分

 

 

それら自分自身を相手に外化(同一化)し、相手を自分にとっての理想の姿に変えることで自己を満たす。

 

 

そこに相手に対する真の愛はなく、そこにあるのは「自分」だけである。

 

 

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他に例を挙げたい。

 

 

「相手を信じる」という言葉がある。

 

これには自己の不安から相手を信じるもの、そして相手を愛するがゆえに信じるもの、それら2つがある。

 

 

自分は不安で不安で仕方がない。

だから相手を信じる。

 

 

これは自己の理想を他者に移し外化しているだけである。

 

つまりは相手を信じるという行為によって、不安で不安で仕方がない自分自身を安心させているのである。

 

そこには「自分」しかない。

 

 

しかしながら相手を愛するがゆえに信じるものはそれとは異なる。

 

そこに自分はなく、あるのは相手を想いやり愛するがゆえに信じる相手本位の心である。

 

 

 

相手がかわいそう、だから救ける

 

 

それは相手を見て苦しく耐えられない自分を相手に外化し、相手を救けることにより自分自身を満たそうとしているものではないだろうか。

 

そこに相手を思いやる相手本位の真の愛はあるだろうか。

 

 

外化(がいか)とは自分にとっての理想を他者に移すことであり、自分が感じていることを他者を通じて感じることである。

 

 

私たちは自己の理想を他者に外化し、自分にとっての理想的な姿に他者を変えることで自己を満たそうとするその自己本意な行為に気がついているだろうか。

 

 

日々の生活においてそれを改めて自分自身に問いかけたい。

 

 

 

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