私は毎日なんと欲深く愚かな人間の姿を見ているのだろう。

 

 

我欲と我欲でぶつかり、啀み合い、憎しみ合うその姿。

 

 

両者だけで争うならまだしも「こちらに加勢せよ、手を貸せ、協力せよ」と周りを巻き込み自らを優位な立場にしようとするその醜い姿。

 

 

 

仮にどちらかが正論であってもそれが我欲を背景とした正論である限り私は一方に加勢したり両者の仲裁をするようなことはしない。

 

 

そのようなことをすれば自分がとばっちりを受け足元をすくわれることは火を見るより明らかである。

 

 

そんな愚かなことをするはずもない。

 

 

 

巻き込まれる罪なき善人を守るためならともかく、

 

愚かな者同士の争いの一方に加勢するようなことなど。

 

 

 

 

その両者の争いの末どうなるのかをただ見ている。

 

 

自分のすべきことをしながら、ただ両者の争いを見ている。

 

 

 

目先の結果は見えているが。

 

金の力に物を言わせ勝負をしているのだから。

 

 

これらは自分で自分がしてきたことを今度は受け手として我が身を持って思い知る因縁果報の流れの中にあるその姿のように私には見える。

 

 

助言をしてもまったく通じる気配はない。それどころか助言などしようものならお門違いの反発と逆恨みで帰ってくる。救いようもないが救う必要もない。いや、それどころか救ってはならないとさえ思わされる。

 

 

目先は一方が勝つのだろうが、その先は両者共に落ちる以外に道はないのだろう。

 

 

 

 

私は毎日、毎日、なんと欲深く愚かな人間たちの姿を見ているのだろう。

 

 

 

 

 

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