先の記事で自己の精神の重要性について書いたがそれに切っても切れない関係にあるのがこの世の道理と仕組みである。

 

スピリチュアルを学ぶ私たち人間が見落とすのがこの世の道理と仕組みであると私は考えている。

 

この世は三次元の物質世界であり物質や肉体と精神は相互依存の関係にあり密接に関係しているが、人はそれを軽視し苦しみ、本来の人間の歩むべき道を踏み外す。

 

 

例えば一例として金融における信用創造という仕組みについて考えてみたい。

 

信用創造とは相手の人間の信用力を担保に「ないお金をあるものとして」金融機関が創造し貸し出すことである。

 

 

銀行は預金者Aから現金100万円の預け入れを受ければ、それを元に銀行は別の第三者Bに100万円を貸し出すことが出来る。

 

この時点でそれまでなかった100万円が新たに創造され世の中に200万円が流通することになる。

 

実際には現金は100万円しかないのだが、預金者Aの口座に100万円、第三者Bの口座にも100万円という数字が印刷されることになる。ないものがあたかもあるものとして動かされていくわけだ。

 

銀行には信用創造という権利がありこれがお金の信用創造の基本的な仕組みである。

 

 

私たちが住宅を購入する際に大抵の場合は住宅ローンなるものを組むが、組める額は年収の5倍から6倍程度であり、例えば年収600万円のサラリーマンであれば35年ローンで3000万円程度の住宅購入資金を金融機関から借りることが出来る。

 

しかしながらここで問題なのはこの先も年収600万円が続くという予定で私たちがローンを組んでしまうことである。

 

例えばサラリーマンであれば定年が60歳、そして法的に保証されている再雇用で延長しても最終の定年は65歳である。60歳の定年で辞めなくても65歳までは働けると私たちは考え予定を組んでしまうのだ。

 

しかしながらそこに落とし穴がある。60歳で定年になればそこで大幅に給料はダウンし、再雇用で65歳までの5年間は収入が三分の一程度になることなどざらにある。

 

更にもうひとつ落とし穴がある。「役職定年」と呼ばれるものである。

 

金融機関などは企業にもよるが50歳を過ぎれば「役職定年」と呼ばれ管理職を下の者に譲り役職を降りることになる場合が多い。勿論、役職を降りるのだから給料は大幅ダウンである。

 

しかしながら住宅ローンは65歳、又は人によっては70歳まで残っている者もいる。

 

ここで予定が狂い、人は経済的に破綻する。

 

経済的に追い込まれれば精神を病み身体に不調をきたすことになる。

 

 

更にその年齢ではちょうど子どもたちが大学に進学する頃で多額の授業料等が必要になる時期である。

 

4年制の理系私立大学などでは4年間で700万円から800万円ほどは必要になるだろう。

 

そうなるともう首が回らなくなり精神的にも追い込まれスピリチュアルだの学びだのそのようなことは考えている余裕などない。

 

 

そこで一攫千金を狙い先物取引や株取引などの投資に手を出す者もいる。

 

そこでもまた「信用創造」の仕組みが顔を出す。

 

手元資金が100万円しかなくても取引市場からその3倍の300万円の株を買うことが出来、これはレバレッジ取引と言われるものだがテコの原理で信用創造された何倍ものお金(株券)を手にすることが出来るのだ。

 

手元資金が100万円しかない現物取引の場合は投資先の企業が倒産しても100万円の資金を失うだけであるが、信用取引で300万円の株を買っており投資先の会社が倒産すれば300万円を失う。

 

元々100万円の現金しかなく300万円を失うことになるためこの投資失敗では手元資金が0円になるだけではなく差し引きマイナス200万円となり負債まで負うことになる。

 

 

このように信用創造の仕組みとはないお金をあるものとして借りて運用することである。

 

借りること自体が悪いのではなく、問題はそのバランスであり、返せる資産があり借りるのであれば良いが、返せる見込みがなかったり不安定な要素があるにも関わらず借りてしまうことにより泥沼にハマることが問題なのだ。

 

例えば私の場合であれば住宅ローンや教育ローンの返済で2000万円弱の借金があるが、今の家を売ればそれ以上のお金になる。

 

つまり資産と負債のバランスが取れているのだ。

 

一文無しになるだろうが、それでも借金を背負うことはない。泥まみれで工事現場で働くなり家庭教師でもして日銭を稼ぐなりして贅沢をせずに4畳一間の昭和の古い文化住宅を借りて慎ましく生きていけば良いのだ。

 

しかしながら人間はその逆をやる。

 

自己資産がないのに、何かあった時に借金の代わりに差し出すものがないのに、にも関わらず他人を連帯保証人にして金を借りる。

 

そして予定が狂い逃げ道がなくなり追い込まれることになる。

 

 

そうなるとスピリチュアルだの精神修行だの愛だのなんだのはもう頭からは消え去ることになる。それどころではなくなるのだ。

 

 

 

私たちの日常にはこの世の道理と仕組みがある。

 

車は走ればタイヤは消耗するし、人間は自分の足で100メートルを5秒では走れない。

 

 

しかしながら10万円しか持っていない者が500万円を借りることが出来てしまう。そこに落とし穴がある。

 

そこで人間は身の丈以上の信用創造を引き受けてしまい返せずお金の奴隷となりその人生を送ることになる。

 

念じてもお金は降って湧いて来ないのだ。

 

 

では誰が悪いのだろうか。

 

この世の仕組みが悪いのだろうか。

 

 

それは言うまでもない。ないものねだりをして欲に駆られ勉強不足、努力不足である私たち自身が悪いのであり未熟なだけである。

 

 

いくら精神世界を深く学んでもこの世の道理と仕組みを学ばず、そして地に足をつけた生活をせずに生きれば私たちは道を踏み外すことになる。

 

現実の生活を軽視し精神世界だけに目を向けるのは本末転倒なのだ。

 

1+1=2ということを知り、そして5-3=マイナス2であることを知り、そのマイナスは決してプラスにはならないのである。信用創造とは何かというこの世の仕組みと道理を理解して生き抜くことに学びがあることを私たちは認識する必要がある。

 

 

物質と精神は密接に関わりこの世の事象を構成している。

 

物質や仕組みなどこの世の道理は精神に影響を与え、同時に精神は物質や仕組みなどこの世の道理に影響を及ぼす。

 

 

これを見誤り道徳や精神のみを全てと捉え人間を導こうとすると明後日の方向に人間を導いてしまうことになる。

 

 

これは私の個人的見解ではなくある意味では事実であると私は考えている。

 

 

 

 

 

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