私たち人間は未熟であるがその自己認識が出来ない者は多い。


特に社会的地位を得たり親の立場になるなど、更に単に肉体的年齢が上というだけで私たちは相手を見下す。



自分は親として上に立ち自分が子に諭して教えてやっているつもりでいる。


親と子の精神年齢が逆転し自分は我が子より幼く未熟であるにも関わらず、私たちはそのようなことは夢にも思わず子に教えてやっているつもりでいる。



社会的地位を得たり先生という立場になると更にこの傾向は強くなりいつの間にか何様かになり驕り高ぶるようになる。



当人は自己認識はなくそれを恥ずかしいと思うこともない。



これらの原因の多くは劣等感に起因することが多い。




劣等感とは自分が他者より劣っているという感情である。


そしてそれは自己認識なく無意識の中にある。




親が子を見下す


夫が妻を見下す


先生が生徒を見下す


年上が年下を見下す


自分より速く作業が出来ないものを見下す


理解出来ない相手を見下す




見下す原因は相手にあるのではなく、見下している当人の無意識の中にある劣等感にある。




自分は相手より優れている。



他者と比較しなければ自分の存在を表現出来ない。



その劣等感が相手を見下すという意識につながる。



本当は自分が下であり未熟だと気付かれたくない。だから必死に相手を見下す。



そんな自分であることすら自覚がない。



それを知らされ謙虚に受け止めることが出来る心の広さ、度量もない。


そのようなことを目下から言われれば逆に激怒する。


だから誰も言わない。




自分で気づくしかない。



そうでないご立派な方々もこの世にはいらっしゃるが、このように劣等感を持ちその自己認識なく過ごす人間はかなり多い。





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