私たちの日常生活では多くの人間が「自分のこと」を語る。

 

自分のことを語る事自体は普通であり自然なことであるが、本記事では朝から晩まで年がら年中、何十年と常習的にそれをし続けるような人間のことを指す。

 

 

「そのような人間がいるのだろうか?」

 

そのような疑問を持つ方々もいらっしゃると思うが、実際に存在する。少なくとも実際に私の周りには職場などを中心に複数存在する。彼らは2時間でも3時間でも何時間でも自分のことを話し続ける。

 

 

これは人間の本能というものであると思うが、特に自己顕示欲の強い人や心に余裕のない人はひたすら自分のことを語り続ける。

 

前述のように私の日常でもひたすら自分のことを語り続ける人間と何十年と共にいるが、それは止まる気配はなく寿命の続く限りこれからも続くだろう。

 

このタイプの人間は自己中心的であり頑固である場合が多いが「おだて」に弱い。

 

ひと度「おだて」で持ち上げれば気分を良くし、いとも簡単に相手の要求を飲まされてしまう。

 

相手に操られていることに気づかない場合が多い。

 

 

実際私も慢心に囚われている者を相手に説得して事を運ぶため時にこの手を使うことがある。

 

この「おだて」は別名「褒め殺し」とも言うが、驕り高ぶり、思い上がる心、慢心に囚われている者はいとも簡単にそれらに転び、本来NoであることをYesと言うことになる。

 

歯の浮くような褒め言葉に気分を良くし警戒することなく褒め殺しされてしまう。

 

 

驕り高ぶらず謙虚さを忘れず生きる者はそれらに対して動かされることはない。

 

しかしながら私たち人間の多くはその心を利用され自分が操られ使われていることに警戒心を抱かず気づかない者が多い。

 

 

先日「悪魔を出し抜け!」という悪魔との対話記録を記したナポレオン・ヒルの書籍を読み終えたがそこにもこの「おだて」を利用してその人間のうぬぼれ、慢心につけ込みその者の意識に入り込む悪魔の手口が記されていた。

 

 

実際私自身もこの手をよく使うのでその効果が絶大であることは実感しているが、人間の多くは自分が操られていることに気づくことはない。

 

商売上のセールスなどに対応する時であれば「何か上手いことを言って買わせようとするのではないか」と警戒するにも関わらず、身内や同じ社内の仲間など近い関係となれば極端にそのガードを下ろしてしまう。

 

虚栄心、自己陶酔、自己本位な心

 

それらに囚われている者に対しては相槌を打ちながらその慢心を突けばいとも簡単に相手の意識をコントロール出来ることが多い。

 

私の場合は事を円滑に運ぶために必要な技として時にこれを使うことがある。

 

いつもそうするわけではない。なかなか褒めない人が稀に褒めるからこそ効果があり相手は落ちるのである。

 

 

しかしながらこれらはいつでも悪意を持って悪用されるのだと言うことを私たちは知り、それは誰が悪いのでもなく、すべての原因は自己の慢心と自己中心的な心にあるということを私たちは認識しなければならないと思う。

 

 

 

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