自己憐憫(じこれんびん)とは自分の内外の苦しみの経験に対して自己中心的な悲しみや自分自身に対する哀れみを感じる感情であり、自分のことをとてもかわいそうだと思っている様子を意味する言葉とされる。


注目してもらいたい欲求が強い

かわいそうな自分が好き

被害者意識が強い

特別扱いを望む

他人の痛みに鈍感


自己憐憫の気持ちは過剰な被害者意識から生み出されるとされ、その根底には「相手に一方的に〇〇された」という自分を正当化する気持ち「自分がこうなったのは他人や環境のせい」という自己防衛の心理が潜む。

こうした過剰な被害者意識は「自分はかわいそうな存在だ」という自己憐憫を生み出す。


「あなた達のために私は我が身を削り頑張っている」

「本当はこんな辛いことは嫌なのだけどあなた達のために私は自分を犠牲にし頑張っている」

(そんな自分が大好き)

(そんな自分を見てほしい)

(そんな自分を哀れんでほしい)

(そしてそんな自分が大好き)


そしてその頑張りはあなた達のためではなく自分たちのためであったりする。

しかしながら自分たちは「あなた達のため」と本気で思っている。

 

本気でそう思っている。

 

自身の心の奥底の「自分たちのため」というその心に気づかない。

 


自己憐憫であることに気づかない。

自己陶酔であることに気づかない。

勘違いであることに気づかない。

相手のためになっていないことに気づかない。

むしろその逆であることに気づかない。

もし気づいているにも関わらずそれを続けているなら罪深い。



本気の涙も私の心には届かない。

 

そのような自分可愛さの涙はむしろ跳ね除けたい。

 

自覚のない自己憐憫や自己陶酔は怒りと恨みを生む。


感情に働きかけてくる偽善を見極めるのは難しい。

 

 

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このようなことを言う私は冷酷な人間なのかもしれない。

しかしながら世の中感情に流され物事の本質を見極めることが出来ない人間がなんと多いことだろう。

 

相手の感情に働きかけ自己本位性を他愛と偽装する身勝手な自己愛がなんと多いことだろう。



あくまで個人的主観ではあるが私の目にはそんな景色が映る。




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