世間では教師や大企業出身者ほど潰しが利かず社会では通用しない者が多いと言われれる。


実際に教育現場にいた私の過去を振り返っても小規模の私学や私塾予備校などでは先生業しかしない者と経営に関わるすべての業務をこなす者とに分かれる。後者の場合は管理職となる。


小規模の私学、私塾、予備校やインターナショナルスクールなどの教育現場においては指導を行う講師自身が日夜授業を行いながらテスト問題の作成、採点、授業の予習、入試問題の研究と分析、生徒指導や講師管理、保護者対応、新規入校生獲得のための営業活動、チラシの作成からビラ配り、経理処理から未収金の回収、勤怠管理などの労務などと、数えればキリがないほど一人何役もこなさなければならなかった。


まさに汚れなき学生たちと触れ合える授業が唯一の救われる時間であったと言えるかもしれない。


勿論、業界が業界だけに「なぜ私がそんなことをしなければならんのだ」というお偉い"センセイ"方々はそのような雑多なことはしない。会社もそれを求めないし適材適所での立場が与えられるだけだ。


最近は公務員教師のブラックな労働環境が問題視されているが、私企業における教育業界のハードワークはそれらを遥かに凌ぐ。


夏期講習となれば一日中立ちっぱなしで10時間を超える授業をし喉をやられ声すら出なくなる。そして長期に渡り睡眠時間との闘いとなる。


一流のプロ予備校講師は黒板の前でチョーク一本を持ち「分給」で生きるための金を稼ぐ。時給ではない、1分いくらの「分給」だ。


更に分かりにくい授業をすれば即座に生徒たちによって首を斬られる。


進学実績や生徒数、売上げが思わしくなければ責任を問われ、皆の前で上層部から吊し上げられ追い込まれる。


クラブ活動など大変だろうが私たちからすれば給与から退職金まで補償された公務員先生方はなんと恵まれているのだろうと思う。



話を戻すが、教育業界で携わった多岐に渡る雑多な仕事では無駄な業務など何一つなく私にとってはすべてがその後の人生を生きる上での実力となった。


経理、総務、営業、コンピュータシステムの操作や構築、端末ハードウェアの分解と修理、データネットワークの構築、デザインから印刷の版下の作成、人と人の間に入り調整をしたり部署などチームをまとめたり、指導や保護者対応や教育指導面は言うまでもない。


それらすべてが私自身の生きる力となり実力となり幅広い視野を持つことにつながった。あの時に先生業にしか関わっていなければ間違いなく今の私はないように思う。


勿論、一つの専門に特化し理解を深めることが間違いというわけではなく、それにより大きなことを成し遂げることが出来、足らない部分を他からお互いに補い合い役割分担をすれば良いこともある。しかしながら上に行けば行くほど重責となり全体を見渡し現状を把握理解した上で決断し指示を出さなければならない。


これらは大企業においての業務の細分化にも同じことが言えるのではないだろうか。大企業出身者は取引先からペコペコと頭を下げられ決まった仕事しかしてこず会社の看板と肩書で仕事をしてきた者も多い。会社を辞め裸になると何も出来なくなる。勿論、皆が皆そうではないが比較的多い。



今現在私は物販の業界に身を置いているが過去に身につけたすべてのことが活きているように思う。


この為替の円安とエネルギーと輸送費高騰、コストプッシュインフレ(原料高騰)の中で粗利益と採算を確保しながらEコマースによるB2C(小売販売)及び業販であるB2B(卸売販売)取引を並行してなんとか経営を成り立たせているが、現状は本当に厳しい。


好きなことだけを仕事にし生きるのもひとつの生き方であるがAIが台頭する現代では肉体労働だけでなくデザイナーや行政書士などの専門職でさえ不要の時代になってきた。


最後は人間力が決め手になるのかもしれない。


人間性を失った人間はAIにとって変わられ不要とされ機械に使われることになるだろう。


事実、自転車に乗りながらもスマホをしている主婦や学生はもはや機械に支配され機械に使われていると言えるのかもしれない。


人間が人間であるために私たちはどうあるべきか、今のこの世を見ながら考えさせられる。




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