昨年末から今年にかけて身の周りの環境が変わりつつある。


取引先から次々と売れ筋商品が入らなくなったり、大きな取引先を失ったり。


 

取引先から恨みを買い名指しで訴状を送りつけられ恐れ怯える者、

父親におもちゃを買ってもらうように会社を買い与えられ何不自由なく道楽に勤しむ者、


何に打ち込むでもなく時間が来たら出社し時間が来たら帰るという人生の時間を切り売りしてお金に変えているように見える者。


かくいう私もその一人かもしれない。


皆、何のためにこの世に生まれてきたのだろうと毎日のように考える。


問題ごとが一つ解決すれば別の問題事が起こる。

途切れることなく次々と来る。


人生とは心休まることはなく問題ごとの連続なのだと改めて思わされる。



こちらの世界を表とし霊界を裏とした場合、表の世界の中に表と裏があり、更に霊界にも表と裏があるのではないかと考えたりしている。


表の世界(俗世)「表の世界と裏の世界」

 

裏の世界(霊界)「表の世界と裏の世界」



表の世界にいる私たちは表の世界の中にある表は知っているが裏のことは知らない。

この場合の裏とは霊界のことではなく、あくまでこちらの表の世界の世俗の中にある裏の動きのことである。


例えば天皇家が4京3千兆円相当のゴールドを所持しており先日も米国のデフォルト回避のために米国の要請を受け融通したとか。

ロシアではプリゴジンがプーチンの後継者として就くべく動きが進行中であり、民間軍事会社のワグネルの動きも予定調和の中での動きだとし、ウクライナ侵攻は単にロシア国内の政権争いの舞台として使われているに過ぎないなど。

表向きとして民間軍事会社のワグネルが暴走したとすれば北海道に武力侵攻してきてもロシア公式の侵攻ではないため自衛隊や米軍は手出しできないだろうことなど。

様々なことが語られている。

私にはその真実を知り得ることは出来ないが、少なくとも私たちのいるこの世では表舞台と裏舞台があるだろうことは分かる。

そしてどちらもあの世の世界とも繋がっているだろうとも思う。


しかしどうなのだろう。

あの世の世界におられる方々、神や仏、ご先祖と呼ばれる存在の方々は私たち人間のことをどこまで見ておられるのだろう。

その疑問はこちらの世界での法律や政治経済、IT技術の進化や技術革新、エネルギー問題など私たちが過ごすこちらの世界の道理や仕組みなど実情をどれだけご覧になられ熟知されていらっしゃるのだろうかという意味での疑問となる。

勿論ながらご自身方々が身を置かれる霊的世界でのことは熟知されていらっしゃるのだろうが、こちらの世界のことはどうなのだろう。

もし万が一こちらの世界の表の道理や実情をご存知ないとしたらこちらの世界の裏側となれば更にもっと見えないのではないかと考えることがある。

神や仏と言われる方々が全知全能とまではいかなくても、ほとんどのことをお見通しでいらっしゃると私たち人間はそう信じて疑わない。


私たちの世界では様々な情報が飛び交い、どれが真実であり何が正しいかの判断をつけるのは困難を極める。

 

そのために私たちは知識を得て物事の正否や善悪の判断が出来るようにならなければならないと思うが、それは同時に依存から自立という意味にもなるのかもしれない。

 

 

「あの方の言うことは正しい」とし盲信してしまうと、相手の言われることが99%正しくても1%の誤った情報を信じてしまったがために大きく誤った道に進んでしまうこともあるように思う。

 

 

そんなことばかり考えている。

 

最近は自分が人間であるにも関わらず他の世界に来ているかのような感覚に陥ることがある。

 

 

冷ややかに周りの人間を見てしまう。

 

自分とて至らぬ未熟な人間の一人であるのに。

 

 

「なぜ分からないのだろう」

 

「なぜ気づかないのだろう」

 

 

そう思いながら毎日を過ごしている。

 

その自分自身も、分からず気づかず何度も同じ失敗ばかり繰り返しながら過ごしている未熟な人間であるにも関わらず。

 

最近は周りのみならずそんな未熟な自分自身のことも冷めた目で見ている。

 

 

 

この世には本当のように思える嘘があり、嘘のように思える真実があるように思う。

 

どちらかといえば真実は嘘だと思えてしまう信じられないことの方にあるのかもしれない。

 

例えば霊的世界のことなどがそうだ。

 

 

私たち人間は目に見えないものを信じない傾向にある。

 

それ故にそれらを解決するのは科学の進化など物質文明の進化によるものとなるのかもしれない。

 

この先その時が来るなら私たちは真実を目の当たりにするそれに耐えうる精神性と精神力が必要なのかもしれない。

 

 

人は気持ちで繋がり心の暖かさを感じ安らぎを得るものだと思う。

 

自分の感性や価値観とは異なる方々に囲まれ逃げ場なく過ごすと苦しくなる。

 

しかしながら自分は一人ではないのだと知り、自分の信念を貫くことが大切なことなのだと言い聞かせるようにしている。

 

単なる我の強さではなく、信念であり芯の強さであり一貫性のあるブレない心の強さを持ち続けたい。

 

 

表の中にある表と裏、裏の中にある表と裏、

 

表は3つあり裏も3つあり合わせて6個ある。

 

 

私たち人間は現世という表の世界の中にある表(日常)と裏(裏社会)を見ている。

 

大枠での表の中に入ってしまっている以上、私たちが見れるのは表の中の表と裏の2者択一となる。そしてその表は見えるが裏は見えない。

 

それを見るためには知識を得て学びを深め他に依存するのではなく自身の揺るがない確固とした考え、つまり自己を確立することなのだと思う。

 

 

意識は見えないものを見ることを可能にし、逆に見えるものを見えなくする。そこに肉体としての「目」は関係ない。

 

妻が妊娠すると同時に世の中の妊婦の多さに気づく。

 

今まで同じだけ街中には妊婦がいたにも関わらず今まではそれが見えず、我が事として意識が変わった瞬間に見えるようになる。

 

その逆もしかり。

 

 

それはある意味意識に基づく「心の目」と言えるのかもしれない。

 

 

 

そのようなことを考えながらまた今日という日も終りを迎える。

 

 

 

 

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