人生は試練の連続だと思う。
試練と幸せはセットであり、試練なしに喜びはないのかもしれない。
「なぜこんなにうまく行かないのだろう」と思うことがある。
「自分にもっと力があれば他の人を救けることが出来るのに」と毎日のように思う。
それは知恵であったり、技術であったり、お金など財力であったり。
しかしうまく行かずに失敗を何度も繰り返す。
恐らく方向や方法が間違っているからだろうことも分かる。そしてそれを分かりながら何度もそれをする。
分かっているなら何故やるのかと言われるが、恐らくそれは何度も試してそれを肌身を持って自分で確かめようとしているのかもしれない。人はそれを執着と言うかもしれない。
そんな失敗ばかりしている私だが確信を持って言えることがある。
人生は試練の連続であるが、心の支えがあればそれらを乗り越えることが出来る。
乗り越えられないものであっても少なくとも苦しみを和らげることが出来る。
人間は苦しみや不安をなくそうとしてもそれは無理であると思う。
念じても目の前の1個のパンは2個にはならない。働いてお金を稼いで買わなければ2個にはならない。
嫌な上司の顔を見たくないと思っても見なければならないし、親を尊敬できないと言っても親子の血縁は切れない。
私たち人間は現実を受け入れて初めて前に進むことが出来る。
そして行動することによってのみ、その現実を変えていくことが出来る。
そこに試練があり、その試練や苦しみを乗り越えたその先に幸せと成長があるのだと思う。
幸せだけの人生が欲しいなどというのはありえないのだと思う。にも関わらず人は幸せだけを求め、悩み、不安になり苦しむ。
私たちに必要なのは、悩まない人間、苦しまない人間になろうとすることではなく、それらと向き合いながらそれらを和らげながら生きることだと思う。
苦しみと喜びはセットなのだろうから。
もちろん苦しみだけが続くように思うこともあるだろう。喜びは直ぐには来ないかもしれない。だが執着を手放しその苦しみを謙虚に受け入れ、それが自発的な気づきと改心に繋がるものであるなら必ずセットとしてあとから喜びがついてくると信じたい。
どうせならデザートセットとして苦しみという食後に山盛りで出てきて欲しい。
そしてその試練と苦しみは「心の支え」さえあれば緩和することが出来ると思う。
心の支えは私たちの力であり生きるエネルギーでもあると思う。
妻や夫、子供、友人、使命感、責任感、そして心を癒やしてくれたり心を奮い立たせたりしてくれる音楽などもそう。人にとっての心の支えはあらゆるものが対象となり人それぞれだと思う。
仕事の性質上、負けられず強気で挑まなければならない戦闘態勢の時は激しいロックを聞いて気持ちを奮い立たせたり、逆に癒やされたい時は美しい歌声を聴く。それだけでも精神コントロールができる。
「自分は他の人々の役に立っている」
「愛する人に必ず逢える」
人はその喜びや想いだけで苦難を乗り越え生きていける。
それが「心の支え」であり私たちの生きるエネルギーとなる。
だから私たち人間はどんなに辛くても苦しくても心の支えだけは失ってはならない。
それを強く思う。
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