哲学者ヘーゲルは「仕事とは自分が社会の一員になることである」としました。
それが意味するところは、仕事とは人間自身が社会に貢献することであり、それは自己の価値の実現でもあります。
しかしながら現代において人間はコンピュータシステムの奴隷になり労働から疎外されている状況にあります。
つまり昔の時代は「働くことは自分を出すこと」であったものが、現代は「働くことは自分を無くすこと」になったことを意味します。
(以前)
働く ---> 自分を出す
(社会の一員・自己実現)
(現代)
働く ---> 自分を無くす
(コンピュータシステムの奴隷)
人間は合理性(計算や損得の論理)の内側だけで生きると不安を抱く存在とされます。
今の「保守」は"表の顔"は精神文化を大切にする保守でありながら、"中身"は自由経済重視であり、国家による福祉・公共サービスの縮小と大幅な規制緩和、市場原理主義の重視と、互いに相反することをしており、「保守政治」の"表の顔"と"中身"との間に歪が生じています。
「保守の "表の顔"」
日本古来の精神文化や過去の良きものを大切にし、伝統・習慣・制度・考え方などを維持する。
「保守の "中身"」
ネオリベラリズム(自由経済重視)により国家による福祉・公共サービスの縮小と大幅な規制緩和、欧米の市場原理を重視し取り入れる。
以上のように現代の保守政治の表側は伝統・習慣・制度・考え方などを維持する愛国者の顔をしながら、その内側は個人主義や欧米の市場原理を重視し取り入れるという相矛盾することをしてしまっています。
これが、右派と左派のどちらかという問題だけではなく、その右派自体にもその表と内で歪みが生じているとされる理由と指摘されています。
この現代における保守政治の表と内の歪による日本国家への影響はかなり大きい。
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