世間では「不安」という言葉をネガティブに捉えてしまう傾向にあります。

私は不安ということについて、それは必ずしも悪いことだけではないと考えておりまして、逆に良い作用が働く場合があると考えています。

今までの人生を振り返りましても不安は私自身を成長させてくれたものでもありました。

正しく言えば、不安を拭い去るためにしてきたことが自身の力となったということになりましょうか。


若手講師時代に教育現場に立つ時、子どもたちの前で先生自身が専門科目について「分からない」では済まされませんし、二時間の授業を行うために三倍の時間、六時間の予習準備時間を費やして授業に挑みました。

そして商取引の現場に身を移せばウェブショッピングのホームページを作成するために画像処理から買い物システムのプログラミング構築まで、顧客クレームにつながらないように寝る間を惜しんで技術習得に励みました。そして時に自分の責任でミスをしたときには会社に対し弁償を自ら申し出て支払いもしました。


「不安」を取り去るには事前に入念に準備をしたり、何度も何度も繰り返し練習して覚えたり調べたりと様々な努力をします。その結果、それを乗り越えた時にはそれが自身の実力となって積み重ねられていきます。


人生とは不安の連続ですから不安は無くならないように思います。


今の時代は生命保険や損害保険、電化製品の期間延長有料保証などお金で安心を買う時代ですが、昔の人はそのようなものはないわけですから、昔の人は一言、「覚悟すること」でその不安と向き合ってきたと聞きます。


不安は恐怖に繋がりマイナスの情動を駆り立てますから気をつけなければならないものでもあります。テレビなどのマスコミは不安を煽りながら世論を誘導したり、企業の健康食品の広告などは病気の不安を煽りながら商品を買わせます。


また、人間誰もが持つ過去の失敗や辛い記憶というのは常につきまといますから厄介でもあります。しかしよくよく考えてみれば、今を生きる私たちに過去はどのように影響を与えているというのでしょうか。

医学的見解では過去の辛い経験というのは人間の防御本能として危険から身を守るために脳内に強く残るものとされています。それなら過去の辛い経験を覚えているということは、次は同じ失敗を繰り返さないように出来るということになります。


確かに「過去の自分」と「今の自分」は関係性があるかもしれません。

しかし「過去の自分」「これからの自分」はどのような関係があるのでしょうか。

これからはいくらでも変えていけるのですから過去の経験を生かし、最善と思われる判断をしていけば良いのではないでしょうか。

 

 

不安に負けてネガティブな思考になるというのは自身の心の問題であり、不安だからこそ失敗しないように学びを深め、繰り返し練習することで自身の技能を向上させたり出来るものでもあります。逆に不安がない者の方が危険ではないかとも思うくらいです。

 

不安というのはある意味では自身の心が生み出した幻想であり、その幻想を現実化させてしまうのもまた自分自身の心ではないでしょうか。

 

 

私にとって不安とは私自身を向上、成長させてくれるものでありました。

 

不安を打ち消すために調べ、勉強し、最善の方法を考え、悪い結果にならないように努力し良い結果になるように取り組んできました。

 

もちろん、失敗することも数多くありましたが今となってはそれがまた自分の財産になっています。

 

私自身完璧主義な性格でもありまして、知ってしまうとどうしても気になり不安になってしまうため自ら情報を遮断して見ないようにすることがあります。

 

それは私自身が「私」という者がどういう者かを知っているからでありまして、そのように自分で入ってくる情報をコントロールしながら客観的にも精神のバランスを保つようにしています。

 

 

不安には「どうにかなるもの」と「どうにもならないもの」の二種類あるように思います。

 

例えば大地震が起こる不安となりますと、これは非常食を準備したり避難場所を確認しておくくらいしか出来ず考えるだけ無駄でどうしようもありません。

 

しかし仕事に対する不安ならいくらでも変えることが出来ます。悪い結果にならないように事前に出来ることがあるならそれをすれば良いわけですから。

 

今の私があるのは不安を打ち消すために過去におこなってきた努力で成り立っていると言っても過言ではありません。私にとっては「不安様々」と感謝しなければならないくらいだと考えています。

 

 

人それぞれだとは思いますが、こんな風に考えている人間もいるのだなと、そう思って頂ければ幸いです。

 

 

 

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