邪や悪は無くしたり滅ぼしたりするものではなく正しく導くものと言われます。

また、「邪や悪を引き寄せて抱き参らせる」という言葉を聞きますが、それは邪や悪を大きな愛で包み光へと導くことを意味するとも聞きます。

しかしながら、いくら諭しても諌めても邪な心に囚われているものには届かず、その解決法は「自ら気づきを得ること」のみのように思います。

 

 

邪や悪を生み出す結果となった元の原因が何であるか、そこに我良ければ良しの自己中心の心はないか


邪や悪は対局にあるものを引き出すためにあり、自ら気づきを得るためにあり、人間はそこから学び成長し続けなければならず、

 

さもなければ自身の心から生み出される邪や悪は私たちの側にいつまでも居座り続けるものであるように思います。

 

 

多くの人間が自分のことだけを考えながら日々過ごしているように思いますが、相手のことを考え相手を思いやる気持ちを持つことが出来れば私たちの中にある邪や悪は小さくなるように思うのですが、なかなかそう簡単にはいかないようです。

 

「すべての存在は無限より出て有限に形し、有限から無限に帰り、そしてまた有限に動く」と言われます。

 

無から有として生み出された私たちを始めとするすべての存在は本来は愛と光の存在なのだと考えますが、私たちの多くは「我」という曇りで光の輝きを失ってしまっているように思います。

 

邪や悪の心に囚われている方々は誰が悪いのでもなく、それは自分の心の有り様が映し出された姿なのだと思います。

 

そして邪や悪という概念は学びの題材として神様より私たちに与えられたものなのではないでしょうか。

 

人間としての肉体を失っても邪や悪の心はそのまま残りますから、人間の世界においての悪との戦いで勝った負けたというのは根本的な解決にならないのだと、そう思わされます。

 

 

・・・