世の中には自己顕示欲の強い人がいます。

 

「オレは優れている!」

 

「あんなやつ大したことはない!」

 

「それがどうした、オレなんてな!」

 

「お前そんなことも知らなかったのか!」

 

 

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私の経験上、自己顕示欲の強い人々の側近として仕える時、その対応に心労がかかり側近として思うように能力を発揮出来ないことがあります。

 

ひたすら上役の自慢話を聞き続け、

 

時に上役に意見すると、取るに足らない些細な言葉尻を捉えられ否定されたり。

 

かといって黙っていると、

「なんとか言え!」と言われたり。

 

次第に側近はひたすら自分がどう思うかではなく上役がどのような答えを望んでいるかだけを読み取りそれを話すだけになり、

 

時に事業活動に関わる重大な法的解釈の誤りを指摘すると烈火のごとく怒り出し自身の解釈を押し通し自分が正しいと主張し、挙げ句の果ては「オレが正しく国家の法が間違っている」とまでなったり。

 

 

世の中、怒りながら話すのが癖となっている人々は多いように思います。

 

そのような人々は往々にして他者を萎縮させ自身と同じ価値観を周りに強制していく傾向があるように思います。

 

他者の話を最後まで聞かず、相手が話している途中にも関わらず話の腰を折り、話を遮り、被せて自身の話をして来たり。

 

 

自身と違う考えを尊重できず、自身と同じ考えに変えるよう相手に強制して求めたり。

 

またネット上に場を移せば自身の考えにに対し否定的なコメントを書かれれば、それを上手く交わすことも出来ず対を張り言い争いをする。

 

その根底にあるのは「オレ様」であったり。

 

 

人は「〜様」「〜先生」「〜部長」、そのように呼ばれ続けると天狗になってしまうものなのかもしれません。

 

 

私たち人間は謙虚さを忘れ鼻高々となった時、そこで成長が止まり、その鼻をへし折られるまで気づかないのかもしれません。

 

いえ、その鼻をへし折られても気づかず、むしろ逆恨みの念とともに落ちていくことが多いのかもしれません。

 

 

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「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

 

 

稲が成長すると実をつけその実(頭)の部分が垂れ下がってくることから、

 

「立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な姿勢である」ということを指す言葉です。

 

また同時にこれは、「中身のない実(頭)ほど軽くて穂が垂れ下がらないため、頭の高い人間ほど中身がなく空っぽで虚栄を張った人間である」と例えられる言葉でもあります。

 

社会的に認められた立場にありながら自分はまだまだ無知であることを自覚し相手の身分や地位を問わず教えを請う者、

 

そして異なる考えに触れた場合でも、それが自己本位なものでなく前向きな善意から出たものであれば、そしてそれに同意出来ず意見は否定することはあっても相手の人格までは否定せずその意見そのものや考えは尊重をする。

 

私たち人間はそのように人として大きく実り、そして虚栄を張らず頭を深々と下げることが出来る大きな人間になりたいものです。

 

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