世界には様々な人種がいますが、同じ日本人の中でも様々な人種がいます。
それは日本国外からの移民であるとか帰化民であるとかそのようなことではなく、人としての心を持つものと獣のような心を持つ者とでも表現しましょうか、そのような人種の違いです。
まるで獣のような人間と例えましたが、そのようにまるで本能のままに生きるかのような人間は自己の存在と目の前のことが全てであり、話しても分からず、分かりあえず、理解もされずであり、私たちが考える通常の人間と同じく導くのは不可能ではないかと思うことがあります。
彼らは身体的痛みを感じることで動き、それは決してその痛みにより物事の道理を理解して動くのではなく、痛みから逃れたいという防御本能のみで動く、そのような人種です。
「獣は獣として導かなければならない」と言われます。
獣のような彼ら人種に道理を説いても人情をかけても「暖簾に腕押し」「ぬかに釘」「馬の耳に念仏」であり、導かれる側は反発心を抱き更に悪化し、そして導く側も苛立ちなど負の念を膨らませ、互いに不幸な結末に至るように思います。
ひと度道路に出れば「我よければ良し」「我先に」と、他を睨みつけながら自転車、自動車が傍若無人に暴走しています。
この世の中、同じ人間でも話して分かる人間と分からない人間がいます。
痛みを持って気づく人間と気づかない人間がいます。
人間は人間として
獣は獣として
痛みを持ってしか動けない獣のような人間には獣の扱いとそれに相応しい道へ
対応を変えながら成長を促せる場合は成長段階にあった相応の導きを
人間という表の顔に惑わされずそれぞれに合った対処、導きが必要なように思います。
決して印象や個人的感情、先入観だけで判断することなく、話を聞かなければならない者の話は聞き、一方で話をしてはならない者とは決して話をしてはならず、情けをかけてはならず。
相手の資質を早期に見極め、感情で判断することなくそれぞれに合った道に導くことが導く者として必要なことだと思います。
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この世には調和が必要と言われます。
確かにそれは必要なことだと思いますが、調和とは必ずしも対等に混じり合うことではなく縦の関係、内と外の関係を崩さずに成り立つものであると思います。
天と地は天が主で地が従、
陽と陰は陽が中心で陰が外、
そして光と闇は混じり合わず
同じ者同士が合わさるのは調和ではなく、違う者同士の調和こそ真の調和であり、真の調和とは対等ではなく、天地、上下、内外があってこそ成り立つものだと思います。
もっともらしい道理を立て対等を求める者、そこに真はないように思います。
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