これまでの人生を振り返り考えていたこと、そして今の日常生活で思うことです。

 

 

「なぜ」人は親に対し感謝の気持ちを持てず自身が大の大人になっても親に甘え続けることが出来るのだろう。

 

 

あくまで自分の育った家庭環境を振り返り思うことです。

 

生まれ育った家庭環境は人それぞれだと思います。そして私個人としては恵まれた家庭環境にて生まれ育ったように思います。

 

親に負担をかけながらも育ててもらい大学まで教育の環境を授けてもらい、社会に出てからも結婚し自立するまで何かと助けてもらいながら私たち子供はやってきました。

 

しかしながら同じ親の元で育った兄や妹を見ていて、給料を稼ぐようになりそれなりの生活をするようになりながら、自身は60歳も間近になりながら尚も年金暮らしギリギリの90歳近い高齢の両親に生活費を頼ったり、家のことや自身が毎日食べさせてもらっている米や野菜の田畑仕事の手伝いすら全くすることもなく、更に老体の父の身体に鞭打つように孫の通学の車での送り迎えなどをさせ続けてきたり。

 

今では両親も思うように動くことすら出来ませんが。

 

「なぜ人としてそのようなことが出来るのか」と横目に見ながら長年考えさせられてきました。

 

人それぞれ生まれ育った環境は異なると思いますのですべてに同じことは言えないと思いますが、仮に恵まれた環境に育ちながらも自分の親でさえ感謝の気持ちを持てず、自身が親の立場になってもその有難みを実感し、親孝行しよう、親に負担をかけないようにしよう、親を安心させようという気持ちすら持てない人間も存在するのだと、この人生でそれを知ることができました。

 

恵まれた環境に育ちそのおかげで今の自分があるにも関わらず、「なぜ」親に対し感謝の気持ちを持てず甘え続けることが出来るのだろう。と、そんなことを考え続けています。

 

逆に恵まれた環境だからこそそれが当たり前になり、分からなくなってしまうのかもしれませんね。

 

そしてこの感謝の気持ちを持てないというのは親に対してに限らず多くのことに対して共通して言えることなのかもしれません。

 

魂の性質というのはこの世に何度生まれ変わっても引き継がれていくものなのかもしれませんね。

 

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「なぜ」多くの人間がこんなにも生気がなく無気力なのだろう。

 

 

今の職場に身を置き、周りを見渡すとこのような光景が広がっています。

 

時間になると出社し、与えられた休憩時間をきっちり休み、年次有給休暇は使い切らなければ損、そして時間が来たら帰る。(仕事が残っていようがいまいが関係はない。時間から時間で働く。)

 

今の世では労働基準法も厳しくなりそれが当たり前と言われればそれまでですが。

 

言われない仕事はしない、言われたことだけする、言われても難しい仕事は「それは私には無理です」と返答し、調べたり人に聞きながらでもしようともしない。努力して出来るようになろうともしない。

 

代わりに目下の後輩がそれをやってのける姿を目の前で見せつけられても、先輩として上司として恥ずかしいとも悔しいとも思う様子もない。それどころか「代わりに別の人がやってくれて助かった」と感じているかの様子。

 

周りに認められたいという気持ちが感じられない。

 

しんどいことはしたくないが給料は欲しい。

 

大人としての教養さえなく無知であることを恥と思わない。

 

知らないのは教えてもらっていないせいで自分は悪くない。

 

周りが困っていても助けない、関わりたくない。(それは自分の仕事ではない、自分に責任はない、会社が悪い)

 

通路にゴミが落ちていても拾わない(そもそも見えていない、見えても拾わない)

 

何を考えているでもなく、ただ自分の作業をしながら時間が過ぎるのを待つ。

 

そういう自分は何も悪くない。(そんな自分のことをとやかく言う人間は頭の古い人間である)

 

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人間は時代の移り変わりとともに便利な世の中で暮らしながらその生活様式や考え方も変わってくるものだと思います。

 

しかし「なぜ」多くの人間がこんなに生気がなく無気力なのでしょう。

 

なぜ努力し成長しようとする意志が感じられないのでしょう。

 

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出来るようになりたい!

 

負けたくない!

 

悔しい!

 

努力を積み重ね、誰にも真似できない技術を身に付け誰かの役に立ちたい!

 

多くの人に喜んでもらいたい!

 

または現実的に、

 

会社で経験と努力を重ね、能力を高めて上司に認められ、今より給料を稼いで家族を守りたい!

 

という人間が何割かいるのが普通だと私個人的には考えてきました。

 

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なぜそんな人間が見当たらないのでしょう。

 

私の周りの環境だけとは思えず日々過ごしています。

 

大企業に有能で志の高い人材が流れていると考えることも出来ますが、実際のところはどうなんでしょう。

 

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話はそれますが最近は何でも「コスパ」という言葉が言われたり。

 

確かに日常の金銭的節約は大切ですが、金銭の損得勘定で何事も「損か得か」で動くのはもはや人間ではないような気もします。

 

国政や地方行政もそう、

 

世の中、お金の損得や経済の論理で考えて動いてはいけないことがあると思います。

 

 

 

ということで、

そして日常は続きます。。