私が高校生のとき、しばらくの間バンド活動をしましたよ~(そんなに見えなかったらごめんなさい。^ ^)
その当時、私が好きでよく歌っていたロック歌手の歌の歌詞中に、このようなくだりがあります。
(歌のタイトルはブログのタイトルです^ ^)
"いつでもお前に電話をかけて。
納谷と言って言葉を渡しても
誰なのか一度に分かってくれる私のたった一人
ショーウインドーの上にかかったシャツを見れば
一番に君が思い出す人
あなたのさいふの中にいつも大事になる人
君にそんな人がナイル数はないか
あなたのそばにいる私の友達ではなく
いつか彼が君の心を痛くして
あなた一人で泣いている様子を見たの
駆けつけ、彼に私この話をしてくれたら
君が鳴るとその一人の女性が私には
人生の全部と
一人で経験する悲しみが来たら
一番に君が探してくれる人
あなたの誕生日ごとに花をプレゼントしてくれる人
君にそんな人がナイル数はないか
あなたのそばにいる私の友達ではなく
いつか彼が君の心を痛くして
あなた一人で泣いている様子を見たの
駆けつけ、彼に私この話をしてくれたら
私の一生を皆与えても私は得られない
彼女を持った君と
彼女をそばに置いた理由だけでほかのこの世界の誰よりもあなたは幸せなんと"
少し悲しい内容の歌詞じゃないですか。 私は本当に一生を持てるほど大切な人だが、相手には、ただの友達だなんて...ㅠ_ㅠ
急に思い出しましたが、漫画のワンピースで、このような名ゼリフがいましたね?
人がいつ死ぬか知っているか。
撃たれた時?
いや、
不治の病にかかったとき?
いや、
猛毒キノコのスープを食べたとき?
いや!!
"人たちに...忘れられた時だ"
今もとても私の記憶の中に鮮明にして定着したワンピースの最高のせりふです。
誰かは他人の記憶の中に定着するために全力を尽くして、誰かは記憶の中に位置している誰かを消すために全力を尽くします。
しかし、この記憶というのは私が書きたかったら使って、消したいなら、消すことができる鉛筆と消しゴムのような存在ではないということを誰もが知っています。
それで、他人によって一度でも傷を受けた人は、その当時の記憶によってまた、傷つけられたことが怖くて心の扉を閉ざしてしまいます。 そんな傷を与えた人は傷を受けた人の記憶の中に"私を悲しませる人たち"という記憶空間の中に存在することになります。
何気なく投げた私の一言が家族に、友達に、ガールフレンドに、職場の同僚たちの記憶の中に"私を悲しませる人たち"の一人になることができるということをなぜ早く知らなかったのでしょうか。 人は喜びの記憶より悲しみの記憶がもっと鮮明で、よく覚えというのは、私が忘れられたのが怖くて傷を与える本能だったんでしょうか。
ああ。。。複雑だね^ ^;;
急に雨も降ってして感傷的な考えが多くの一日ですね。
今日みたいな日私を"私を喜ばせる人たち"の一人として記憶してくれる人がいたら本当に幸せそうです。
今日も私の思索話を見に来て頂いた誰かに心から感謝の言葉をお伝えます。(_ _)(^ ^)



