Sakura-ayumuの映画レビュー

Sakura-ayumuの映画レビュー

映画、小説、マンガ

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モナリザの永遠の冷たき完璧な微笑。
その絵画の下で行われる激しいセックス。
静かなモナリザの永遠の微笑が男女の刹那の営みを見守り続ける。

物語はこういう感じで始まる。

僕たちは出会ってから7日間毎日セックスをした。
狂おしき男女の愛を描く。

ベティはウェイトレスの仕事につかれ、
ゾルグはバンガロー500件のペンキ塗りに疲れ果てる。

ベティは衝動的に雇い主に暴力を振るい、衝動的に火を放つ。
女性の衝動性を象徴している。

フォークで刺したり、ゾルグの作品を貶める編集者を引っ掻いたりする。
女性の衝動性を誇大化して表現されている。

ゾルグは退屈な労務に耐える男性。
単純なバンガローの仕事に耐え、その間に小説を執筆している。

 ベティ、つまり衝動に導かれ、華やかな都会に出ていく。夢を追って。

男性はゾルグ。女性はベティ。
しかし、狂気をベティ。理性をゾルグ。
2人は異なるパートを受け持ち、愛というピアノを一生懸命奏でようとする。
途中から入ってくるピアノ店を経営していくということは、欲望の果てに愛を家庭を築こうとする、努力を象徴している。
セックスという、恋という狂気からピアノ、家庭という複雑な愛に変えようとする、そのような試みだ。

それは友人の祖母の死から、スタートする。
つまりは死という無、から子供を創造するという有、への物語全体の刹那から永遠へという展開への試みなのだ。

ゾルグとベティの2人で、女性性と男性性で体現されるようにストーリー上設定されている。

ビアノが売れたのはベティが客におそらく女性の魅力を使ったから。
ゾルグは売ることは出来ない。「なんで俺じゃ売れないんだ。君なら売れるのに」
その痛みからかベティは睡眠薬らしきものを使っている。


ゾルグの友人の妻は、ゾルグを誘惑する。
「子供を産んでから1ヶ月もやってないの」
ゾルグは拒否しながらも友人の妻の太ももを撫でさする。

二人の家庭に影が差す。
子供が出来たかも知れないという気分の高揚から時速100キロでトレーラーを無免でぶっ飛ばすゾルグ。トイレで麻薬を手に入れるゾルグ。

夢を応援するベティ。
家庭を陰から支えるベティ。
お金がないのに車を買うゾルグ、
別荘地らしきものを買ってプレゼントする。浪費する。

いつしか、当初の衝動=ベティ。理性=ゾルグ。
その役割が反転して行く。
つまりは女性と男性の役割が反対になる。
「あなたは作家よ」
「それと壁をブチ抜く事は関係ないだろ?」
「いえ、一緒よ」
いつしか、ベティはその魂を家庭のために抑圧されその奔放さを失って行く。
自傷行為も初めてしまう。
ピアノを弾く天才少年が現れる。
ピアノは家庭の象徴なのでピアノを弾く子供は、幸せな家庭の創造を意味する。

「1キロ太ったわ」
妊娠を予想させる展開。
真っ赤な血のようなライトで染まる寝室。

しかし、ベティの努力は報われない。
妊娠検査は陰性。

そこでベティは壊れてしまう。
真っ赤なピエロのような口紅。男のように短くする髪。
ゾルグもスープをかぶり真っ赤になる。
「しょせん、この世は火の海だ」

幻聴らしきものもはじまる。

ゾルグは女装し強盗に押し入る。
ここから、ベティとゾルグの変換が始まる。
ベティの衝動性がゾルグに乗り移る。
物語上の男性と女性の変換だ。

ベティはゾルグになり、ゾルグはベティになる。
ベティは感情をなくした人形のようになる。
幻聴も出始める
精神科に入院させられる。薬を投与されベッドにくくりつけられるベティ。

医師に迫るゾルグ。
自分のせいなのに分かっていない。

ソーセージをペニスに当てぽちゃんとスープに入れる。

夜間女装し病院に忍び込み、まくらでベティを窒息死させる。

それは男性性と女性性が自らに殺しあう。
そういう事だと思いますよ。


「俺たちは永遠に一緒だ」

ラスト、ピアノが鳴り響く空虚な部屋。
吹きこぼれそうな鍋。
一人で食べる食事。
夢は叶う。

しかし、そのかたわらには猫が。
猫からベティの声が聞こえる。

「書いてたの?」
「考えていたんだ」

ゾルグが答える。


好きになる事と、狂気とは一緒の事ですよね?

最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
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