昨日ふと日月神示と素盞鳴の神様に対する考え方が変化した
「日月神示」
碧玉の巻 第04帖 (019)
真の懺悔(ざんげ)は正法をおさむることであるぞ、掃除することであるぞ。先づ御(おさ)め、次に治(おさ)め、次に知(おさ)めねばならんぞ、素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給ひ、更に蒼海之原を治め給ひ、次に天下(あめのした)を知め給うたのであるぞ。素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。
日月神示を何度と無く読みながら
素盞鳴の大神様を悪く見ていたつもりでは無かったわけだが
そうでもなかったみたいだ・・・
言葉にし伝え辛いが高天原を追放されるまでの素盞鳴の神様に
自分の自分自身でさえ気づいていなかった幼さを、悪と恐怖を投影していた
こういうことだったのか・・・などと物思いにフケりつつ
でもまぁ日月神示は難解だし決め付けはやめようかな
などというのが感想
確かに申し訳ないななどと・・・