東北地方太平洋沖地震を経験してしまったProducerです。
少し、ゆっくりできる時間ができたのでブログでも書こうかと思います。
震災時は東京の高層階におり、
揺れを判断した上で
「これは、やばい・・・皆、落ち着いて幹線道路から公園へ退避!!退避!!!」
と指示した記憶が今でも浮かびます。
近くの公園に避難し終え、ふと空を見上げると、
グラグラと大きく揺れるビル郡。
そして、緊急ホールディングによる日常ではありえない高度で新宿上空を
どこの航空会社か分かるほど超低空で飛行していく
B747が映りこんでまいりました。

震災直後は
携帯が使用できたので、すぐさま各方面に安否情報を伝令。
脱出最後にテレビで確認した震源地である東北。
その東北に住む友人たちの安否が気になり
とにかく、メールだけはしておこうと送信を行った次第。
東京ですら、これだけ揺れを感じたのだから
震源地付近である東北はさぞかし揺れたであろうと・・・。
YOUTUBEに僕が体験した揺れにそっくりな動画がありました。
これを見るだけでもあのときの状況が思い出されます。
そう、ゆっくり初めは揺れ・・・・
避難の状況をいま思い返してみても
おぞましい限りでございます。
しかし、避難の手順や避難経路、我褒めではございませんが、
確実に出来たと思っております。
東京は冷たい人が多いなんていいますが、
やはり、いざとなった場合、声掛け等もありまして、
よかったと。
しかし、今回の避難結果に満足することなく、
より精進していきたい次第。
ある程度、揺れも収まり、一段落し、周囲の方々も
各自の持ち場に戻りはじめたので、
自分も部屋に戻りテレビをつけてみると
そこには、仙台空港を飲み込む津波の映像が。。。。
「おいおい、うそだろ。。。。。」と。
時間が経過するごとに
信じられないような津波の映像が飛び込んでくるではありませんか。
そして、信じられないような死者・行方不明者の数。
そして、人工衛星からの写真は津波の凄さを改めて痛感。
【リンク:人工衛星から見る津波による被害】
東京では地震直後には使用できた携帯電話による通話・メールも
規制がかかり、まったくもって使えない状況。
そんなとき、役に立ったのがスカイプ。
知人のほとんどがスカイプを利用していたので
規制がかかった中でも、PCからスカイプで
各自の声で各地の被害状況や安否確認を取ることができ
安心材料となりました。
このような状態のとき相手の声を聴くというのは本当に嬉しく思う。
茨城の友人も、被害の大きい石巻にいる友人も無事でなにより。
少しずつではありますが、本当に少しずつではありますが
復興へと動き出してきていると。
みんな、がんばって行こうじゃないか!!!
が、すまん!!僕はちょっと沖縄旅行に行って来る!!
『Producer東京から脱出』とか言うな!!!
前々から予定してたんだ!!
東北で被災に合われた方、不安な状況が続いていることと思います。
しかし、悲観し泣くにはまだはやい!!
泣くのはいつだって出来る。今は日本各地で出来ることをする。
そして、少し乗り切ることができたら、大いに泣いてくだされ!!
仙台空港のMETARをみると
『2011/03/11 07:00 RJSS 110700Z 24011G23KT 200V260 9999 FEW015 BKN030 BKN070 05/M04 Q1012』
そう、津波に襲われたときの状況で止まっております。
しかし、仙台空港も復興しだしているとの情報。
昔、調布空港で、たまたま話したパイロットがこんなことを言っていました。
『調布空港を反対する奴らがいるが、災害時にまず拠点となり
物資が大量に運ばれてくるのが空港だっつーのに・・・』
バカにされてきた茨城空港もここぞとばかりに力を発揮していただきたい!
そして、東北圏の我が友たちよ。
ある程度、ひと段落したら、
不謹慎と言われても結構!!
今回の災害の話をツマミに酒を酌み交わそうじゃないか。
そうやって、今回の災害を胸に留めて行こう。
そんな日を目指して今は一緒に乗り切ろうぜ!!
しかし、実際揺れてないのに、揺れてると感じてしまうときがある。
うーん、、、どーにかしたい。。。
体が揺れに馴染んでしまったのか?!
ではでは!!!各自持ち場に!!!
これにて解散!!!!
ドドドン!!!