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今晩は(*^)(*^-^*)ゞ透子です。久し振りですが、またまた、私の大好きな妖刀のお話をします。(←もうええわ。)
実は、今日、14時からのサスペンスドラマを観ていたら、村正が登場し、因果なものと、つくづく感じました。図書館で、日本刀の本を、借りた後だったからです。
村正に纏わる伝説として、忘れてはならないのが、やはり、将軍家に仇なす妖刀である話です。
天正年(1579年)、9月15日、徳川家康の長男、岡崎三郎信康が、遠州二股城(現・静岡県天竜市)において、自害した。
信康は、織田信長の娘婿だが、生母、即ち、家康の正室、築山殿に、甲斐の武田勝頼に内通したと疑惑を持たれた結果、半ば強引に自殺せしめられたもの。
信長は、娘、五徳姫からの、姑築山殿の行状と、信康の悪事12条を記した訴状を、家康に示し、二人の処断を要求した。
やむ無く家康は、まず、築山殿を、浜松城外、小籔村で殺させ、信康については、日を延ばしていたが、織田信長不興と伝えられては、流石に観念し、服部半蔵と、天方通経を、検分・介錯役として、二股城へ、差し向けた。
信康は、半蔵に介錯を頼んで、切腹したが、半蔵は、涙にくれ、介錯が出来なかった。切腹により、苦しむ信康を見かね、通経が半蔵に代わって介錯した。
両名は、涙ながらに信康の最期を、家康に報告した所、泣く泣く聞いていた家康がふと、通経に、
「介錯に使った刀は、誰の作か?」
と訊ねた。両名が、
「村正で御座います。」
と、答えると家康は、
「さても、妖しき事もあるものかな。如何にして、この作の、当家に障る事かな。
この後、差料の中に、村正があらば、皆、取り捨てよ!」と言った。
家康の云う、当家に障る事とは、祖父の、清康から始まっていた。
天文四年、2月5日の早朝、清康君守山の御陣屋にて、千字村正の刀にて、肩より左の脇まで、一刀に斬られたのだ。
近習阿部弥七郎の凶刃に倒れ、父の広忠も、家臣、岩松八弥の村正で、暗殺されている。
家康もまた、子どもの頃、駿河宮ヶ崎で、村正の短刀で、手を傷付けている上に、最愛の長男、信康を介錯したのが村正と聞いては、取り捨てよと命じたのも、無理からぬ事かもしれない。
家康の一言が、名刀村正の運命を決した。
冷徹な、大儒新井白石すら、
「村正は、御当代不吉の例、少なからず。
御扶持を蒙るもの、暫時も村正を、帯ぶる可らず。」と、記しているほど。
ここに、村正は、完全なる妖刀であると、相成ったのである。
因みに、東京国立博物館には、本刀ではないが、村正の晩年の作、妙法村正が、重要美術品として、保管されています。