囲碁や将棋のプロのことを、“棋士”という。
(アマチュアでもそう呼ぶのかもしれないが)

かねてから疑問に思っていたのだが、
棋士の収入源って、なんだろう?

たとえばプロスポーツ選手の場合、親会社をはじめとするスポンサーがいて、
観客の入場料収入、テレビ放映権収入、グッズの売り上げなどがあり、
有名選手にいたっては、オフシーズンのバラエティ番組出演や
取材、本の出版など、いくらでもあるだろう。

アマチュア選手だって、名目上はどこかの企業に所属していることが多く、
オリンピック級の選手ともなれば、給料以外に(仕事なんてしてないと思うが)
広告塔として多額の“手当”が支払われているだろう。

でも、囲碁や将棋の放映はNHKで、
多少の出演料はあるのだろうが、
企業のロゴが入った衣装を着た棋士なんて、見たことない。
にもかかわらず、やっぱり全盛期の羽生善治なんて、
軽く億は稼いでいただろう。

で、先日、仕事関係の人たちとの飲みの席で
この疑問をふと投げかけたところ、
その中に大の囲碁好きの人がいて、いわく
「新聞の囲碁・将棋欄に棋譜が載ってるだろ。あれだよ。」

つまり、あの将棋などの対戦の図面と手順を新聞などに載せる許可料というのが、
プロスポーツでいう放映権料にあたり、
それが、けっこうな高額ということなのだ。
(事実関係は定かではありません)

「でも、あんなのが新聞の売り上げにつながるの?誰が見るの?」
と私が食い下がったところ、
意外とこの分野の根強いファンというのは多いらしく、
掲載をやめたら購読者数に影響する可能性があるらしいのだ。

まあ、ホントかなぁ~、と思いながらも、
ほかに考えつかなかったので、むりやり納得することにしました。

世の中、よ~く見渡してみたら、
「ところで、これってどうなってるんだろう?」
みたいなこと、ありますよね。
って、いろんなところに出没してますよね。

たとえば、雨の日。
駅の構内などで、たたんだ傘を持って歩くときに、
普段と同じ調子で手を振りながら歩いてる人、多いです。

その人の後ろをただ歩くだけでも
ちょっと距離を空けなければならないんだけど、
これが上りの階段だったら、さあ大変。

とんがった傘の先が目前に振り下ろされて
キケンきわまりないのである。

「あっぶねーなー」と思うと同時に
軽い殺意さえ覚えてしまうのは、
私だけだろうか。

ああいう人って、はなっから周りに気を使うという
意識がないんだろうね、きっと。

みなさんは他の場面でそんな人、見かけませんか?
先日、バルセロナで行われたカタルーニャ国際賞の受賞スピーチで、
作家の村上春樹が語った言葉だ。

「過ちの原因は政府と電力会社が効率を優先したこと」
という考えには、「ふむふむ、確かにそうだ」と納得がいくものの、
「黙認してきた国民にも責任があり、加害者である」
の部分については、いささかの違和感を覚えた。

「核に対する『ノー』を叫び続けることが
広島・長崎の犠牲者に対する集合的責任の取り方となったはず」
とも述べており、この意見そのものに反対できる人は少ないと思うが、
原爆は“兵器”であり、原発は、いちおう社会に利便性をもたらす“インフラ”である。

兵器なんてものは、そりゃあそんな物騒なものには
誰もが大反対に決まっている。

一方、効率の良い電力供給ということで、
補助金をチラつかせながら言葉巧みに安全性などを
表面的に説明されてきた人々が、
本当のリスクを考えられる知識など持ち得ただろうか。

やはり、あくまでも原発地域の人たちは“被害者”であり、
その他大部分の国民は、
「なんとなく、気がついたらそうなっていた」
というのが本当のところではないだろうか。

だって、本気で反対を叫ぶためには、
それだけの知識的バックボーンがないとできないわけだから。

最大の加害者は、為政者と財界という
“時の支配者たち”に決まってるじゃないか。