2017年3月8日(水)
19:30 羽田発千歳行のフライトで北海道へ。
21:00に千歳空港に到着。今日は札幌まで行かずに千歳に泊まる。
千歳駅前は北海道らしく開放的で広々としているが、この時間で周辺でオープンしている飲食店はラーメン屋しかない。
北海道の都市の他の例にもれず、駅と市街地が離れているようである。市街地までは歩いて15分程度である。地元客相手の
居酒屋はちらほら営業しているが、酒を飲むほど気合いが入っていない、軽くラーメンでもという気分だが、生憎、ラーメン屋は
閉店している。とりたてて観光地でもなく、夜が早い町のようである。コンビニで夜食を買って、そのまま、ホテルに戻って寝る。
駅直結の千歳ステーションホテル。廉価なビジネスホテルだが、清潔で適切な室温で快適である。
1日目終了。
2017年3月9日(木)
廉価なビジネスホテルの無料朝食とは思えない充実した手作り感いっぱいの朝食をお腹いっぱい食べる。これだから、北海道の
食は侮れない。食に関していえば、いつでもどこでも、ボリューム満点である。北海道の人特有のホスピタリティである。
今日はまず、JR北海道の未乗区間となっている室蘭本線の乗りつぶしである。千歳から追分経由で岩見沢に行く。



追分から岩見沢は乗りつぶし完了。追分に戻り、夕張線で夕張へ行く。夕張線は乗ったような気もするが、念のため乗車する。
新夕張~夕張間は1日の運行本が4本しかない。JR北海道は近年、営業危機に陥る程の大規模赤字を計上しており、経営改善策として、
運行本数の大幅削減を行い、路線によっては廃止の意向も示している。まるで国鉄末期のような危機的状況である。



平日の日中、車内も閑散としている。。


夕張駅。かつては炭鉱で栄えたが、閉山後は見る影も無い。かつて車で来たことがあるので、駅前の様子は良く覚えている。
2009年か2010年頃だったと思うが、何も変わっていない。



新夕張から乗って来た列車、1両だから列車では無いか、、単車か、いや違う、これは汽車だ。で引き返す。
これを逃すと、何もない寒い駅前で夕方まで時間をつぶさないといけない。

北海道の旅は、数少ない列車の乗り継ぎに妙がある。まるで謎ときを楽しむミステリー小説のようだ。
今日は、室蘭経由で虎杖浜まで行く。
夕張を過ぎた後、しばらくして、列車が急ブレーキ、警笛を鳴らす。これは、踏切事故だと直感。身構える。
やがて、ガツンという衝撃音、大きなものがぶつかったような衝撃とともに列車が急停車。
やはり、踏切事故であった。遮断機が下りているのに、無理に線路内に入ってエンストしたのであろう。
本当に悪質な事故である。夕張線である。列車が来ることは滅多に無い。1日4本、待てばいいのだ。
このような悪質な運転手(地元のおばあさんであったが)は免許返納して欲しいと思うのだが、公共交通機関も不便な土地である。
通りすがりの旅人がとやかく言う事ではないであろう。


運転手からアナウンス。列車の運転再開はせず、運転打ち切り。この後に警察の現場検証もあるので、そのまま車内に留まるよう指示。
乗客は6-8名程度か、幸いけが人はいない。

しかし、これでは、この後の乗り継ぎもうまくいかなくなってしまう。困ったものだ。
警察、消防が続々と到着。大した事故でもなく、怪我人もいないのに、大げさである。にわかに雪も激しくなってきた。
まるで大惨事である。今となっては目立った産業もない人口の激減した田舎町なので、警察も消防も暇なのであろうか。




地元のテレビ局、新聞社も到着。のどかな夕張にとっては、年に数度もない、格好のニュースである。

列車の前の非常口を通り、ようやく脱出。JRがワゴンタクシーを用意、追分方面に戻る。手筈が良い。
乗客は2台のワゴンに分乗しており、JRが1台のワゴンにまとめるよう、途中の新夕張で待機させるが、こちらは被害者である。
他の旅行者らしき数名の乗客は大人しい為、怒りの詰問口調で駅員に抗議した結果、2台目のワゴンを待たずに南千歳へ高速道路で急行してくれる事になった。飛行機に乗る人もいたようだが、間に合って良かった。
予定していた列車には乗れず、室蘭本線の追分~苫小牧の未乗区間も残ってしまった。JR北海道には悪いが、特急に乗せてもらう。
車掌が来たら、事情を説明しよう。
特急すずらんに乗り、南千歳から終点の室蘭に到着。東室蘭~室蘭は乗った事があるような、無いような。しかし、これでスッキリした。

室蘭から登別へ移動。ようやく当初の予定の列車に乗れた。



虎杖浜ではなく、登別から自家用車で送迎してくれる。登別は有名な温泉地だが、アジア系の外国人観光客の姿が多い。
本日の宿泊は虎杖浜500マイル。東京から500マイルの距離があるから、このネーミングらしい。面白いし、教養を感じる。
安くてたらふく海鮮の幸が堪能できる、ネットで話題の民宿である。冬季燃料代と料理のグレードアップしても、8700円。

あたりは、国道沿いで大型車両の通行が多い、セイコーマートや安い温泉民宿があるが、国道沿いとはいえ寂しい場所である。

セイコーマートでビールやウイスキーを買い込んで、部屋に行く。何もない場所だから、酒を飲んで、温泉に入るしかない。
民宿はこの下宿感がたまらなく懐かしい。いくつになっても、一瞬で学生時代に戻れる場所が田舎の民宿である。


自慢の源泉かけ流し温泉。他の宿泊者もまだ来ておらず、ゆっくり入湯。目の前の絶景を独り占め。穏やかな海である。

自慢の夕食。今年の北海道の海産物は過去に例が無いほどの不漁で、カニも去年までは1パイ出していたのが、半身になってしまった
との事で残念である。この勢いだと、数年後、海産資源が枯渇しそうで、そうなった場合は、何も出せないとの事である。




おいしい食事をいただき、静かな環境で波の音を聞きながら、ゆっくりと休む。
2日目終了。
2017年3月10日(金)
今日もボリュームたっぷりの朝食。ホイル焼きは椎茸のバター焼き。朝から北海道らしい。

虎杖浜駅まで送迎してもらう。朝の通勤・通学時間である。しかし、通勤者はマイカーで通勤する。通学者、高校生が主な乗客である。





虎杖浜から、苫小牧の間の車窓を見ると、雪がほとんどない。北海道の湘南と呼ばれ、雪の少ない土地らしい。
駒大苫小牧が全国優勝できたのも、この温暖な環境があったからである。
香田監督の「勝ちすぎた監督」野球ノンフィクションの名作である。
南千歳から、快速で小樽まで行く。今回は札幌はスルー。小樽は日本海側らしく雪が降り積もる町である。



駅前の市場をぶらぶらする程度で、この寒さと吹雪では市街散策をする気にはならず、キオスクで酒とつまみを買い、車内へ。


倶知安に到着。ニセコの玄関口で外国人のスキー客が多い。




倶知安から長万部は極端に本数が少ない。小樽~長万部の未乗区間もこれで完了。


函館本線の山線は豪雪地帯である。

長万部は海側であり、雪がほとんどない。


今夜の宿は二股ラジウム温泉。長万部から8kmほど先の山の中にあり、送迎が来てくれる。1泊だけなのに親切である。
ひなびた山間の湯治場であるが、建物は新しく綺麗である。






効用確かな温泉として、有名である。泥のような温泉で成分が濃い。タオルが茶色くなり、色落ちしなさそうな感じである。





温泉の成分が堆積してできたドームが大迫力の温泉である。他に客もおらず、貸し切り。何とも贅沢である。





夕食は、質素なものである。他の湯治客と一緒に食べる。全部で6.7人くらいである。年寄からOL風まで幅広い。

夜は真っ暗な温泉に入る。湯治場はそういうものなのだが、水道のシャワーとかはなく、体を洗ったり、髪を洗うのには難儀する。
本当に誰もおらず、怖いくらいである。ここは数日泊まるのがいい。きっと効用が出てくるだろう。
3日目終了。
2017年3月11日(土)
長万部まで送迎してもらう。時間があるので、送迎の方のおススメの床屋にいき、髪を切ってもらう。話が面白い床屋さんであった。
東京の修業時代、二人の娘さんのお話(札幌と千葉に住んでおり、長万部にはいない)、長万部が鉄道で栄えていた時代の話を聞く。
クラスメートの半分が国鉄関係者の家族だった時期もあるらしい。
昼食はおススメの長万部名物金谷食堂のかにめしを食べる。

長万部は函館本線が山線と海戦とに分岐する地点で、機関車の付け替えをする必要があり機関区がある駅であった。
その為、大勢の国鉄職員で賑わった。
かつてを忍ばせる広大な側線が印象的である。今は数両の気動車が係留されているのみである。

駅の向こう側には長万部温泉があり、夕食はボリューム満点の海産物が出てくるらしい。次はここに泊まろう。

長万部から函館も本数削減の影響で極端に少ない。車内も閑散としている。





いか飯で有名な森までのんびり走る。キハ40は国鉄時代から生き残ってきた車両である。耐用年数も限界に違いが、今のJR北海道に
新たな車両を購入する余裕が無い為、だましだまし使用している。これが最後の乗車になるかもしれない。

森では停車時間が長いので、ホームに出る。特急列車がやってきた。鈍行列車の利用者は少ないが、都市間を結ぶ特急列車は
乗客がそれなりに多い。

森はのどかな駅で、海が近い。暖かい。


ふたたび車内の人となり、車窓を眺めての旅。ローカル線の旅の最高の時間である。

森から乗客も増え(といっても、10人程度だが)、のんびり函館を目指す。時速40-60kmくらい。これほどゆっくり進むのは
車両にガタが来ている為だろうか。この鈍足ぶりでは、地元の人は不便すぎて高速バスを利用するだろう。

函館に到着。




函館から、市電で湯の川温泉に向かう。結構、遠い。函館は駅前より、五稜郭周辺の方が繁華街という事が分かった。

今夜の宿はKKR函館。公務員の厚生施設だが、一般の人も利用できる。民営の旅館に比べると内容の割に安い。


湯の川温泉は湯温が高く熱い。今の時期には熱いくらいがちょうどいい。公務員の施設らしく、風呂の会話から察するに、
教師の集りがあり、宿泊者の多くは道南の教師らしい。皆さん公立高校の教師らしく素晴らしい方である。教育者、聖職と
呼ばれる職業にふさわしい方々であった。
旅館だけあって、手の込んだ料理が出てくる。大満足。

4日目終了。
2017年3月12日(日)
湯の川温泉は3度目である。中学3年、高校3年以来である。当時、修学旅行で泊まった古くて大きなホテルは取り壊され、
外国人相手のモダンな高級旅館に生まれ変わっていた。
空港行きの市バスを待つ間に海岸を散策。夜景で有名な函館山が見える。湯の川温泉からは反対側で遠い。

湯の川温泉から函館空港は近い。バスで10分程度である。函館空港は市街地から近い。市街地から近い空港といえば、函館、伊丹、松山、
福岡、宮崎、那覇が思い浮かぶ。他にもあるかもしれない。もっと旅をしないと、知らないことはたくさんある。
函館を10時に出ると昼前には羽田に着く。北海道とはいえ、道南だから近いものだ。

5日目終了。
終わり。
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2016年12月22日(金)
ふっこう割第4弾は熊本。
ふっこ割の期限の最後にようやく震災発生源の熊本に行く事ができる。
旅行代金は34,100円。東京~熊本の往復航空券とJR九州ホテル1泊の宿泊費が含まれる。
ふっこう割が15,000円適用の為、19,100円となる。
今回はそれ以外に山川温泉華紬で1泊する。28,000円からふっこう割が10,000円適用で
18,000円となる。国からの補助金がトータルで25,000円。
今日のJAL便は遅れ無し。熊本空港から市街地は遠い。JR九州ホテルは駅前にある立派なホテルだが、熊本は市街地と駅が遠いため、バスの終点であるので、1時間はかかる。外は寒い。駅前は繁華街では無く、飲み食いするような場所も少なく、早くも店じまいしている。
12月23日(土)
郷土料理のだご汁定食の朝食を食べた後は、路面電車に乗り熊本城に向かう。
震災の影響で無残な姿となった熊本城。熊本の象徴も西南戦争以来の無念の落城といった風景である。







再建までにどれほどの年数と費用がかかるのか暗澹たる気分になった。
続いて水前寺公園。天気が今一つだが、ここはいい風景である。




市内には震災の影響はもう何も見ることは無い。安心した。
水前寺公園からバスで空港に向かう。オプションでレンタカーが1日1,000円で借りられる。
空港近くの菅乃屋で馬肉を食べる。馬刺しと馬肉ハンバーグ。熊本の馬刺しは東京で食べるのと全然違い上質な和牛のような味がする。
阿蘇へ向かう。被災地に近づくにつれて、道がデコボコして走りづらい。平衡感覚が狂いそうになる。
大観峰からの眺め。世界で2番目に巨大なカルデラが阿蘇らしい。







それにしてもカルデラの頂上は風が強くて寒い。周りを遮るものが無く、木々もない。
小国町を経由して山川温泉へ行く。近隣にある黒川温泉ほどメジャーな観光地ではないが、抜群の泉質を景色を誇る隠れた優良温泉との事。
華紬は部屋に露店風呂がついており、贅沢にも源泉かけ流しである。関東なら倍の値段がする超高級ランク旅館だろう。
国からの補助金が出なければ、とてもじゃないが泊まれないランクである。


料理も素晴らしい。こまめにサーブされ、繊細な料理が連続する。おなかいっぱいで満たされる。
12月24日(日)
豪華な朝食を食べた後は、熊本空港に戻る。
距離があるのと、通行止めの道路を迂回する為、通常よりも時間がかかる。
昨日、食べた菅乃屋で馬肉の焼肉を食べたかったが、お土産に馬刺しを買う。
空港のレストランで馬刺し丼を食べる。味はまあまあ。菅乃屋で最高級の馬刺しを食べた後はこんなものだろう。
帰りの機内は空いている。窓の下から阿蘇のカルデラが良く見える。
日本とは思えない広大な風景である。

2016年は九州に4回行き、国からの補助金は64,000円受け取った事になる。
今まで遠くて知らない九州を知ることができた年になった。復興も進んでおり良かった。
おわり。
2016年12月15日(木)
ふっこう割第3弾は鹿児島県。
旅行代金は51,700円。ふっこう割は15,000円適用の為、支出は36,700円。
東京~鹿児島の往復航空券と1泊目鹿児島空港ホテル、2泊目旅行人山荘の宿泊費が含まれる。
木曜日の夜便で鹿児島空港に到着。今日のJALは珍しく遅延しなかった。
空港から市内までは遠い。すぐ近くにある鹿児島空港ホテルに宿泊。
ビジネスホテルなのに温泉付き。さすが鹿児島である。朝食も奄美大島の郷土料理の鶏飯がおいしかった。
12月16日(金)
今回は鹿児島市内には行かない。空港近隣の国分・隼人・霧島に行く。
大隅国一宮の鹿児島神宮。隼人市街地にある。静寂なパワースポットである。



昼食は夜は鹿児島黒毛和牛が食べ放題になる、きりしま畜産で焼肉定食を食べる。食べ放題のサラダやビーフカレーもおいしい。
また、産地直産の地元ならではの価格設定が嬉しい。
隼人は京セラの工場も多くあり、農業王国鹿児島のイメージがあったが、製造業では京セラ関連の生産も多いようだ。
京セラの創業者稲盛氏は鹿児島県の出身である。鹿児島は時代を問わず、実に多彩で優秀な人物を輩出する地域である。
霧島神宮へ行く。ここは今までに体験した事のない神秘的な神々のパワーを感じる。また、大自然の精霊の気も物凄く感じる。
バリ島のウブド、日本では屋久島と同じ空気を感じる。




霧島の雄大な風景を眺めながら、霧島温泉に向かう。日本広しといえども、これほど雄大な景色が堪能できる温泉街も無い。
今夜の宿は、温泉街の中心から少し外れた山の上に建つ旅行人山荘。
かつてバックパッカーの間で絶大な人気を誇った雑誌「旅行人」の蔵前編集長の実家である。


部屋にもロビーにも旅行人のバックナンバーが置いてある。特に初期の同人誌時代のバックナンバーは貴重である。
内容が非常に興味深い。またインターネットもなかった時代、旅行者の口コミだけが頼りだった時代に思いをはせ、簡素な印刷の同人誌を読む。温泉に入ったらじっくり読もう。



旅行人山荘は温泉旅館としての実力も確かなもので、霧島温泉で初の露店風呂をオープンした予約が取れない人気の宿である。
チェックイン時に露店風呂の予約をする。露店風呂は建物の裏手の山を登ったところにあり、ちょっとしたアトラクションである。





湯の花がたっぷり沈殿している。本物の源泉かけ流しの温泉である。


チェックインが早くて、一番風呂の為、お湯がフレッシュでパワーがある。温度も適温のぬるめでいつまでも入っていたくなる。
時間は一人45分。霧島の大自然に囲まれて、時間があっという間に過ぎていく。
心身共に癒され、パワーが充填される。今まで北海道から沖縄までいろいろな温泉に行ったが、一番素晴らしい場所だと思う。
南国鹿児島は東京とは比較にならないほど暖かで、散歩も楽しい。

夕食は鹿児島の地鶏を使った鍋が名物らしい。あとは新鮮なお刺身が少しばかりある。正直、料理は期待していたほどではなく、普通だが、
従業員のホスピタリティが素晴らしい。

旅行人をじっくり読んで、内風呂に入り、就寝。
12月17日(土)
朝食を食べたあとは、散歩。




山の上に立地しており、錦江湾の眺めが素晴らしい。



大満足の旅行人山荘を後にして、霧島温泉の中心部に向かう。



コンビニ、スナックなどあり、歓楽街的な要素も少しある。
もっと山の中に入り、秘湯を目指す。
新湯温泉。国民宿舎新燃荘の一軒宿である。





解放感抜群の露店風呂に入る。とにかく乳白色が濃い。まだ、朝早い(10:00)のか、他に客はおらず、独り占め。
ここの温泉は成分は危険なくらい濃い。入浴時間に制限がある。かつて硫化水素中毒で死者が出た為である。


次の秘湯は湯ノ谷温泉の一軒宿。湯ノ谷山荘。



宿主の思いがこもった効用書。




秘湯ムードたっぷり。湯船は3つあり、熱めの硫黄泉はやさしいお湯、冷たい微炭酸泉は湯の華がたっぷりで体中に炭酸がまとわりつく感覚、その両方を混ぜたぬるめの混合泉は適温でゆっくり浸かることができる。
お湯が3種類楽しめる。熱い湯、冷たい湯、適温の湯と長時間入れる。まさに湯治場。浴室も源泉かけ流しにこだわった小さなサイズ。
まじめに馬鹿正直に温泉を提供するとこのサイズになる。好感が持てる。今度は宿泊したい。

霧島温泉に戻り、定食屋で生姜焼き定食を食べる。鹿児島では肉ばかり食べている。
本日の宿泊は妙見温泉。川沿いに数件の温泉旅館が立ち並んでいる。

田島本館に宿泊1泊2食で1万円。




歓楽街などはなく、完全にひなびた湯治場である。

きらく温泉。ここは素泊まり2700円。


田島本館の露店風呂浴槽。泉質の異なる2つの浴槽がある。

成分が濃い。ぎしぎしした泉質である。

内風呂は地元の老人でにぎわっている。

夕食はとても質素であり、おかずが足りないので、ご飯が残ってしまう。
隼人の市街地で食料を買い込んできて、素泊まりのきらく温泉に泊まるのが良さそうだ。

土曜日にも関わらず宿泊者は少ないようである。夜の内風呂は誰も入る人がおらず真っ暗で、シャワーが無いので体も洗えない。

12月18日(日)
朝食を食べて、空港に向かう。
途中で熊襲の穴という観光スポットがある。
ヤマトタケルノミコトの熊襲征伐神話の舞台になった場所といわれている。
熊襲の酋長が酒盛りをしている際に、女装したヤマトタケルノミコトに討たれたらしい。






鹿児島空港へは20分もあれば着いてしまう。
鹿児島空港は遠くに霧島が見える。日本一風光明媚な空港だと思う。



終わり。
2016年11月25日(土)・27(日)
軍艦島が世界遺産になった。
一部の廃墟マニアでは有名であったが、今では世界的に知られる有名な観光スポットとなった。
ふっこう割第2弾は長崎県。
旅行代金は54,500円。ふっこう割が12,000円。実際の支出は42,500円。
東京~長崎・福岡~長崎間の航空券と11月24日(金)ホテルウイングポート長崎と
11月25日(土)富貴屋の宿泊費が含まれる。
2010年10月に軍艦島を初めて見たが、上陸は果たせなかった。
当時の様子。ブログも今と違い、気合いが入っている。
http://blog.goo.ne.jp/macauchairman/e/7c0793b86414b64a8f8ca4d13398929f
いよいよ6年越しの夢が実現した。
軍艦島上陸ツアーも複数社主催しており、6年前とは比較にならない程の活況を呈している。

念願の上陸を果たす。説明はいらない。画像が全てを語る。






















ガイドさんの懇切丁寧な説明があり、当時の様子がよく理解できた。





長崎港に豪華客船が来ていた。三菱造船長崎で建造された船かもしれない。里帰りか。

昼食は中華街で長崎ちゃんぽん。味は東京で食べるリンガーハットと変らない。

市内を散策した後は、バスターミナルから雲仙へ向かう。九州は東南アジアのようにバスターミナル文化が根付いている。


午後からは天候が悪くなってきた。晴れている時間に軍艦島に上陸できて良かった。
風光明媚な島原半島を車窓に見ながら、山を延々と登り雲仙温泉に到着。
今夜の宿は富貴屋。雲仙温泉は一見すると高級な旅館が多いが、意外と料金はリーズナブルで良心的である。


雲仙地獄は目の前にある。









雲仙温泉の中心街。酒屋でビールを買い込む。


これで温泉が期待できないはずがない。乳白色のこれ以上無い素晴らしい濁り湯であった。大満足。
食事も工夫があり、地元の食材と新しいアイディアもあり大満足。全てにおいて高レベルな雲仙温泉である。
元々は長崎の外国人の避暑地として発展してきた歴史があるので、湯治場と違って食事・サービス水準が高い。
翌日は、大雨のなか、バスで島原市内へ下り、島原城や市内を散策して、高速船で三池港へ行き、JR快速で博多へ行った。
電車や高速バスと違い半島をぐるりと回ることなく、海上を一直線で結ぶルートであり、福岡まで2時間と意外と近かった。
終わり。
2016年11月4日(金)
今年は熊本の震災があった。被災地の復興を支援し、観光客を呼び戻す為、復興割引で九州へのツアーに国からの補助金が出る。
旅行代金総額/宿泊県 熊本県 大分県
旅行代金総額2万円以上10,000円割引
旅行代金総額3万円以上15,000円割引
旅行代金総額5万円以上20,000円割引(※2泊以上)
旅行代金総額/宿泊県 福岡県 長崎県 宮崎県 鹿児島県
旅行代金総額2万円以上8,000円割引
旅行代金総額3万円以上12,000円割引
旅行代金総額5万円以上15,000円割引(※2泊以上)
福岡県で仕事があるので、往路を大分、復路を福岡にする。
旅行代金は45,200円。ふっこう割が12,000円。実際の支出は33,200円。
東京~大分、福岡~東京の航空券と別府ホテルニューツルタ2泊(うち1回は夕食付)の宿泊費が含まれる。
大分県。
九州の中でも、佐賀県と並び地味な県で有名な大都市も観光地も何も思い浮かばない。
しかし、そういう知らない土地、初めていく土地ほど旅行しがいのある場所もない。
知らない事は全てが初体験で伸びしろである。自分を大きく成長させてくれる場所である。
金曜日の最終便で羽田から大分空港まで移動。最前列のファーストクラスには小室哲哉氏が
ご搭乗である。マイナスオーラ全開の暗く沈んだ目の、肌の汚い真っ白なおじさんであった。
大分が実家の病気の奥様のお見舞いに行くのであろうか?
日本航空便は到着機材遅れの為、出発が40分遅れる。大分空港は国東半島にあり、遠くて不便な
場所である。大分行きは数台のバスが並んでおり、経由地が異なるが、最も発車時刻が迫っている
別府経由大分行きのバスに乗る。
別府は大分の手前にあり、40分ほどで到着。夜遅くにも関わらず、温泉街の為、人通りも賑やかである。
今夜の宿泊場所のホテルニューツルタは温泉旅館である。大分市内のビジネスホテルと料金はさほど変わらない。
それなら、温泉旅館を選ぶ。フロント前には温泉について細かい採点があり、ランク付けされている。
源泉かけ流しを原則としているらしい。大分県は温泉県を標榜しているとの事。
夜遅くのチェックインの為、和室の部屋には布団がひいてあり、温泉に入ってそのまま就寝。
1日目終了。
2016年11月5日(土)
朝食バイキングを食べて、別府市内を駅まで散歩。

宿から徒歩3分の場所にある竹瓦温泉。夕方に入湯したが、建物が大きい割には浴室は意外に小さかった。源泉かけ流しに
こだわった為であろうか。屋根がとても高いのが印象的であった。湿気を逃す工夫であろう。

駅前高等温泉。学生時代に九州一周旅行をした時に立ち寄りした思い出の場所である。

行先は国東半島。半島らしくない雄大で真っすぐで平坦な風景が連続する。
有名なお寺らしい。両子寺。石仏文化で有名な場所である。




豊後高田は発展に取り残された町である。それを逆手にとって、昭和レトロの町で全国からの観光客を呼び寄せている。
かつての鉄道駅はバスターミナルとなっている。

今にもローカル線の列車が到着しそうなホーム。

駅からは商店街が続く。往年の賑わいが偲ばれる。昭和の雰囲気。



古い車や、学校を移設してテーマパークにしている。




昼食を食べる適当なレストランが見つからず、国道沿いのラーメン屋で豚骨ラーメンを食べる。ラーメンを頼むと普通に豚骨が出てくるのが、
九州らしい。醤油ラーメンはメニューにない。男らしく豚骨一本勝負。
宇佐八幡宮。伊勢神宮なみに広大な敷地と厳かな雰囲気のある神社である。

熊野磨崖仏。急な石段を登った先にある。訪れる人もいない。


如来形像。

不動明王。


並ぶとこんな感じ。不動明王は明らかに制作年代が古い。

別府に戻り、地獄谷観光。





市内をぶらぶら。あちこちから湯煙が上がり、さすが日本一の温泉街である。海側の旅館に泊まっているが、山側の旅館もいい。
泉質が異なる。山側の方が泉質がより良さそうだ。



温泉旅館の為、夕食付。大分名産のひゅうが(鮮魚のづけ)が美味しい。海産物が豊かである。
2日目終了。
2016年11月6日(日)
今日は一転、南へ向かう。
城下町臼杵。



臼杵磨崖仏。磨崖仏として日本初、彫刻として九州初の国宝に指定された日本で最も有名な磨崖仏である。(今まで知らなかったが)











シルクロードの遺跡、スリランカの仏教壁画を目にした時と同じくらい感動した。今まで知らなかった場所だが、日本が世界に誇る遺跡
といっていいだろう。いや、これは遺跡ではない。現役である。保存状態が素晴らしくいい。
周囲は日本の里山の風景。

臼杵はふぐ料理が有名らしいが、パスして、さらに南下し、津久見でぶりのひゅうが丼を食べる。九州風の甘いタレにからめた鮮魚が美味である。
調味料を買って帰る。東京では食べられない風味である。
大分に戻り、レンタカーを返却して、JR特急で博多に向かう。
博多では定番のもつ鍋を食べた。大分から来ると大都会、観光地であり猥雑な印象を受ける。
大分を全て堪能できたとは言えないが、メジャーではない、観光地ずれしていない日本の原風景を堪能できた。
これからは今まで行ったことのないマイナーな観光地、落ち葉拾い的な旅行をしていこうと思う。
3日目終了。
終わり。
2016年7月29日(金)
尾道は坂の町。箱庭都市。町自体がテーマパーク。
いつか行ってみたいと思っていたが、ようやくその機会に恵まれた。
広島空港から直行バスで1時間30分。尾道駅に到着。


瀬戸内は過ごし易いと聞いていたが、暑い・・・。30度以上あるだろう。

駅前の昭和の時代から何も変わっていないような商店街。まだ開店前で人通りも閑散としている。


銭湯は廃業して、展示場になっている。歴史的遺産の建物が残っているのは大切な事である。

商店街の裏手は港町らしい細道。

尾道ラーメンの元祖と言われる朱華園のラーメン。メニューでは中華そばとなっている。平日にも関わらずこの店だけ大行列。
店内は観光客で溢れている。愛知県から車で来たというご夫婦と話しをする。奥さんはよくしゃべる方だが、ご主人は全くしゃべらず、
無口な方であった。女性の話はあまり中身がないが、ただ聞いてあげるだけでいいのだ。

東京で食べる「尾道ラーメン」よりあっさりして、上品な味であった。また、並んでまで食べるかと聞かれると、NOである。
やはり、ラーメンは東京に限る。全国津々浦々のラーメンは東京で食べられる。地方のラーメンは古典的・伝統的な老舗の味か、数年前に
東京で流行った味がようやく伝わったか、どちらかである。もちろん、伝統的な地元のラーメンの方が食べる価値がある。
ロープウェイで尾道の街並みを見下ろす山に登る。この光景は日本全国探しても、尾道だけだろう。




細い路地から、海が見える。

大汗かいて、歩き回る。平日なので、観光客が少ない。水分補給して、一休み。その後、テレビでよく見るの名物のアイスを食べる。
尾道水道を渡る渡船に乗る。泳いで渡れそうな狭さだが、橋が架かっていない。船舶を通す為であろうか。





島はいい。上陸した途端に島時間が流れる。ここは尾道以上に昭和を感じる。




尾道からは、電車で長い時間を乗車して広島に行き、夜は野球の応援。
猛打爆発でエース野村をノックアウト。地元広島出身石田の好投も光る。我がベイスターズの歴史的大勝利。
ベイファン、広島ファン、中日ファンの3人で試合後、おでん屋で酒を飲む。真夏のおでんもいいものだ。
それにしても、マツダスタジアムと広島ファンは素晴らしい。日本一野球を愛している。
惨敗にも関わらず、途中で帰らず最後まで応援する。
勝ち負けにこだわらない。野球場に来ることを楽しむアメリカ的なボールパーク・野球文化が根付いている。
1日目終了。
7月30日(土)
日本一の軍都といえば、海軍限定でいえば、横須賀、呉、舞鶴、佐世保であろう。
序列は分からない。個人的には呉が一位である。
呉と言えば、戦艦大和。世界一の戦艦である。
その悲劇的な最後は時代を越えて日本人の心をとらえて離さない。
日本人ほど滅びの美学を愛する民族はいないと思う。根底にあるのは仏教の無常観であろうか、自然災害の多い
島国だからであろうか。遺伝子にしっかりと組み込まれている。
大和ミュージアム。日本人なら一度は行くべきである。大勢の家族連れ、子供たちでにぎわっている。
日本の未来は明るい。敗戦後の自虐史観をようやく脱し、正しい歴史教育がなされるようになった。


呉は冷麺が有名らしいが、2日連続して中華麺はパスしたい。
どうせ夜は広島風お好み焼きを食べるし、中には中華麺がどっさり入っている。
老舗の洋食屋でカツカレーを食べる。海軍の町らしくカレー。昔ながらの小麦粉をしっかり使ったカレールーでおいしい。
しっかりしたカレールーは少量かければ十分おいしく、ごはんも食べられる。最近の飲み物みたいなカレールーを、
ばしゃばしゃかけるのは邪道である。海軍の町らしく伝統がしっかりと根付いている。
本来、カレーは飲み物ではない。兵隊さんの体力増強を第一に考えられた食べ物なのだ。
今夜も広島に戻って、野球観戦。昨日に引き続き、打線が爆発、大エース黒田を早々に粉砕し、
先発の井納が良く投げて、連日連夜の見事な勝利。
昨年は序盤戦首位で優勝かと期待したが、終わってみれば結局、最下位。
しかし、今年はAクラス、初のCS出場も現実的になってきた。
着実に力をつけてきている。1998年以来の優勝も近い。
2日目終了。
終わり。
2016年1月23日(土)
カニを食べたい。本物のカニを。
カニを食べたいのなら、冬の日本海側に行くしかない。
金曜日は大阪で仕事。仕事を終え、大阪駅から福知山線の特急で福知山へ向かう。
福知山で北近畿タンゴ鉄道に乗り換え。快速天橋立行き。観光列車である。


1両の為、混雑がすごかったが、一番前のいい席を確保。
1両にも関わらず、アテンダントさんが特徴のある名調子のアナウンスで沿線の観光ガイドをしてくれる。
新線でトンネルばかりで、景色は堪能できないが、山ばかりの鄙びた土地である。
天橋立駅に到着。日本三景で名高い天橋立。

スキー場みたいにリフトで展望台に登る。

晴れていて良かった。冬の日本海側が晴れになる日は珍しい。

向こう側は宮津の街並み。

帰りもリフトで下る。


天橋立を歩いて渡る。日本三景の碑。松島は出身地に近い。宮島は昨年ようやく行った。

潮の流れが複雑である。

とても風情のある道。

夏は海水浴でにぎわうのであろうか。とても綺麗な海である。



智恩寺。日本三文殊のひとつで通称切戸(又は九世戸)の文殊堂として知られている。



天橋立から、北近畿タンゴ鉄道、山陰本線の豊岡経由で城崎温泉に行く。

沿線は丹後の国の歴史を感じる重々しい風土を感じる土地である。途中から雪が降ってきた。
城崎温泉は吹雪である。猛烈な低気圧が接近中で今夜からは大雪になる予報である。
城崎温泉はとても風情ある温泉街である。日本有数の風情ある街並みだと思う。
しかし、肝心の温泉は源泉かけ流しからは程遠く、循環風呂で塩素臭がひどい。
その割には大勢の観光客でごった返している。もっと源泉かけ流しの本格的な温泉に行きたい。
猛吹雪となり、明日の鉄道の運行は保証できず、本日中の帰宅を促す駅員の案内放送が入る。
竹野までは、1両のディーゼルカーである。車内は混雑する。
1両での運航はローカル線らしい。終点に向け、乗客が少なくなるのであろう。
竹野駅からは旅館の送迎車が沢山来ている。この猛吹雪では歩いていくのは大変である。
駅から町中までは車でないとちょっと遠い。5分くらいで到着。
はまや旅館の柴山カニフルコース。23,600円。
ピンクのタグが柴山カニの証。今年は例年になくカニが高価との事。年々高価になってきているらしい。


・カニ味噌
・カニ炭火焼
・カニ刺し、旬の海鮮お造り
・カニしゃぶ
・カニすき
・カニ雑炊
・香物
・フルーツ
完璧なコースを堪能。一生の思い出になった。
JALから電話があり、明日の但馬空港から伊丹空港に向かう便は欠航が決まったとの事。
外は大雪であり、仕方がない。山陰本線が無事に走るといいが。
翌朝は、女将さんに無理を言って、朝食を6時に出してもらい、駅まで送迎していただいた。
山陰本線竹野駅から宝塚駅までのきっぷを買う。昨夜の大雪にも関わらず何事もなかったように、
山陰本線の1両のディーゼルカーがやってきた。車内はガラガラである。雪は既にやんでいる。
晴天である。どうしてJALは早々と欠航を決めてしまったのであろうか。
寒風吹きすさぶ宝塚からはバスで伊丹空港まで行く。但馬空港から乗継予定の便に搭乗できた。
終わり。
2016年2月27日(土)
クエを食べたい。本物のクエを。尾鷲にクエを食べさせる事に関しては、日本一有名な宿があるらしい。
金曜日は岡崎での仕事があるので、その後に遠い尾鷲まで行く事にする。
金曜日は四日市で宿泊。駐車場が建物の屋上にある一風変わったビジネスホテルに宿泊。
トウエイホテル。シングル朝食付き5520円。
夜の繁華街に繰り出す。トンテキが名物らしいが、がっつり食べる気持ちにならず、焼き鳥を食べる。
四日市から、鳥羽、志摩半島を経由して尾鷲に向かう。名物の牡蛎がシーズン真っ盛りである。
尾鷲シーサイドビューにチェックイン。
天然クエコース。17800円。民宿に毛の生えた程度を予想していたが、立派な旅館である。
近くの世界遺産熊野古道を散策。










途中で誰ともすれ違わなかった。熊野古道でもここは観光コースでは無いのであろう。

静かな湾内。



宿自慢の眺望風呂からの眺め。

周辺散歩。廃校になった小学校。

賀田駅まで行ってみる。歩いて15分。





いよいよお楽しみの天然クエコース。
・クエ鍋
・前菜
・地元天然魚の造り
・クエ入り茶碗蒸し
・クエのアラ煮
・クエの唐揚げ
・雑炊/お漬物/デザート









本物のクエを食べる事ができて、一生の思い出となった。
終わり。
2015年11月2日(月)
台南から高雄へは、往年の台湾最強最速特急の自強号で移動。台湾新幹線が開通しても、相変わらず自強号の本数は多いし、乗客も多い。日本は新幹線が開通した区間は特急、急行はほとんど走っていない。長距離を急ぐ乗客は高額な運賃を払って新幹線に乗るしかない。JRは台湾国鉄を見習って、乗客にもっと選択肢を与えてもいいのではないか。元植民地から学んでもいい事だってたくさんある。日本はアジアに学ぶ事は無い的な、変なプライドは捨てる段階に差し掛かっている。

高雄から、花蓮まではディーゼル特急で移動。ここから台湾の南側を廻って、東海岸へ出る。台湾の日本海側ともいえる人口の少ない地域である。

車内の雰囲気も一気にローカル度を増す。東南アジア的というべきか。スーツ姿のビジネスマンの姿は少なくのんびりしている。

しかし、平日にも関わらず満席である。隣の席の全身黄色の服のおばさんと話しをする。お寺に参拝に行くそうだ。お菓子をくれる、ひまわりの種。久しぶりに食べたが、東南アジア的な味ではない。あっさり塩味だ。
「お腹が減ったので、お菓子ではなく、弁当でも食べたい。」と言ったら、太った体からは想像できない素早さで、関山の駅降りたと思ったら、ホームを猛ダッシュして、弁当を買ってきてくれた。しかも、1つだけ。自分の分はいらないらしい。しかも、お代は絶対に受け取らない。ありがとうおばさん。太っていて膝が悪いと自分で言っていた人とは思えない機敏な動きと俊足だったよ。
もし、日本で同じ場面になったら、絶対に台湾人旅行者に1つだけ駅弁を買ってあげようと思った。



台湾東部の人口のまばらな風景は、のんびり、そして、曇り空の為、心なしか寂しい。今回で4-5回目の台湾だが、いつも台湾は雨か、曇りである。そして寒い。晴天の台湾は、高雄と嘉儀の午後の昼下がりだけであったと記憶する。
花蓮に到着。駅の様子は大きくは変わらない。ホーム番線が沢山ある大きな駅である。


駅前は相変わらず広々とし、閑散としている。北海道の駅みたいである。


市街地までは歩いて20分程度。雨が降り出してきそうである。


前回と同じホテルに宿泊。名前も変わったが、料金も値上がりした。6年前のあばた顔の親切なフロントの女の子はおらず、当時のその子と同じくらいの年齢の女の子がフロントにいる。6年前にここに泊まったことがあるといっても、英語がうまく通じないのか、ポカーンとしている。しかし、それはそうだろう。6年前はおそらく中学生くらいだったのではないか。
部屋はすっかり、リノベーションされて、今風である。料金も値上がりするわけだ。


時折、雨が降る中、旧花蓮駅に行く。蒸気機関車があり、鉄道公園として、保存中である。
街歩きを楽しむが、6年前とあまり変わりはないようだ。

前回、行けなかった鴨料理の店に行く。美味であった。

そして、前回も行った、台湾で最も有名なワンタンの店。相変わらず美味しい。台湾一に間違い無い。


街歩きをもっと楽しみたかったが、大雨であきらめる。いつ来ても「花蓮は今日も雨だった。」と言うしかない。
3日目終わり。
2015年11月2日(月)
朝の花蓮駅。台北方面へ移動。振り子式の新型特急列車が運行しており、時間が短縮になった。デザインがかっこいい。普悠瑪号。安全と信頼の日本製。最高速度は140kmで走る。JR特急の最高速度の130kmより断然速い。しかし、スペックは同じである。最高速度の違いは単に、日本と台湾の鉄道の法律の違いである。


基隆に行ったことがないので、今回は行ってみたい。途中の八堵で乗り換え。


しかし、基隆行は出発したばかりで、しばらく来ない。外は大雨。しかも寒い。この寂しげな駅でひとりでじっとしていたら、基隆に行くのが嫌になってきた。

結局、台北に来てしまった。雨もやんでほっとする。

昼食を食べる。またもやB級グルメ的な美味しさ。

台北に早く着いてしまったので、西門など、今まで行ったことのない繁華街に行く。東京となんら変わりはない。


バスで故宮博物館へ行く。

中国人の団体客でごった返しており、うるさい。しかし、見どころは多い。さすが、世界三大博物館である。
帰りのフライトは夜行便である。温泉に入ってから、飛行機に乗りたい。
有名な北投温泉に行く。市内中心部から地下鉄で40分程度で行けてしまうのだが、これが本格的な温泉でびっくりする。草津クラスの温泉が都心から40分のベッドタウンにあるようなものである。



巨大な日本式の温泉旅館が連なっている。なんと加賀屋がある。日本一の旅館が台湾進出である。

一方で、昔ながらの銭湯スタイルの公衆浴場もあり、こちらは気軽に利用できる。

銭湯では洗い場がなく、シャワーもないので、頭が洗えないので、旅館の日帰り入浴に入る。1,500円と高額である。
しかし、お湯は真っ白な本物の硫黄泉で、長時間ゆっくり浸かるのにはいい。広い浴槽にシンガポール人の公務員の青年と2人で入る。彼は日本語が達者で、留学していた訳ではないが、日本政府の招待で日本に滞在した事があるし、旅行で日本には何度も来たことがあり、日本について詳しい。それ以上にドラえもんに詳しい。日本語に興味をもったきっかけはドラえもんだそうだ。よくある話である。
シンガポールの公務員は長時間労働の激務でストレスが溜まるらしい。それは大変お疲れ様でした。ゆっくり温泉で疲れを癒して下さい。
帰りは、台北駅前の三越をぶらぶらして、夕食を食べる。高い割には、またもやB級の美味しさである。B級グルメ王国台湾を満喫した旅であった。

台北駅から空港までは、いつも國光号と決めている。アメリカ製のアルミボディと後輪が2輪あるところが、アメリカンなストロングスタイルでカッコいい。車体は老朽化著しく、料金は全バス会社の中で最も高いが、これは譲れない。台湾の旅を締めくくる儀式みたいなものである。
深夜の空港は閑散としている。しかし、これが台北の空港の基本的な姿である。東京やバンコク、ソウル、上海、北京とは人口規模、国際線の便数、国内線の便数(ほとんど無いに等しい)が格段に違うのである。



深夜のフライトで羽田に早朝着。そのまま出勤である。
6年ぶりの台湾。中国本土やアセアン諸国といったマネーが流入する実力以上の見せかけ成長国と違って、あくまで実力本位の堅実で着実な成長国である。悪く言えば変化を感じない老成された感じは既に日本と同じである。民度も高く、人は親切。B級グルメ的な美味しさに満ちている台湾。また、6年後あたりには特に理由もなく、ぶらり途中下車の旅をしている予感がする。
4日目終了。
終わり。
2015年10月31日(土)
台湾は2009年の2月以来、約6年ぶり4回目である。前回は鉄道で台湾を一周した。今回も同じように一周したい。
早朝に羽田を出るLCCのピーチ便が台北まで就航しており、最近は安価である。
初めての台北到着は今でもはっきりと覚えている。日本の「昭和」を感じる佇まいに、既視感を覚え、市内バスの日本語の呼び込み、礼儀正しく丁寧な係員のお姉さんに台北の町中のホテルを紹介してもらった。
日本から独立して50年後も、しっかりと日本の精神を受け継いでおり、大日本帝国の残滓を初めて感じたのが、台北空港での出来事であった。それから、至る所でそれ以上の残滓というか、遺産を感じたものである。
バスの切符売り場の雰囲気ががらりと変わり、今ではとても近代的である。当時の面影を探しても何も残っていない。
唯一、切符売り場の配置レイアウトに面影を残す程度である。
バスで直接、台中へ向かう。高速道路は大渋滞。3時間ほどかかって、台中に到着。
名物の巨大な餃子に似た食べ物。お昼時を過ぎているにもかかわらず、店内は大混雑。


注文方法や食べ方を隣の席のおじさんが説明してくれる。いつ来てもフレンドリーな台湾の人々である。旅がしやすい。
台中から埔里鎮に向かうバスに乗る。

埔里鎮は台湾のへそとも言われ、位置的に中心地になる。
台湾の田舎らしい、昔ながらのバスターミナルが町の中心。

ここが台湾の中心らしい。

夕食はあまりぱっとしない安食堂で食べる。台湾はB級グルメの国だとつくづく思う。高級な料理に出会うことは少ないが、B級のそこそこ美味しい料理があふれている。お財布にも優しい。

人口8万人の南投県では県庁所在地の南投市(10万)に次ぐ規模の都市であるが、繁華街はそこそこで、夜は早い。

1泊3,000円の安宿の部屋のクオリティに懐かしのアジアの夜を感じながら就寝。
1日目終わり。
2015年11月1日(日)
朝早く起きバスターミナルへ向かい始発のバスに乗車し、山道を延々1時間30分進むと、霧社に到着。



1930年10月27日霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(村)の壮丁300人ほどが、まず霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校の運動会を襲撃した。このため、事件の犠牲となった民間の日本人約140人の内には多くの女性、子供が含まれており、彼らは無残にも首を切り落とされていた。
蜂起の連絡を受けた日本軍や警察は鎮圧を開始した。日本側は2日後の10月29日には早くも霧社を奪回した。霧社セデック族側は山にこもり、霧社襲撃の際に警察から奪った武器弾薬を使って抵抗した。11月1日の戦闘では暴徒側は日本側の鎮圧に抵抗したが、指揮を取っていたモーナの次男バッサオが死んだ。11月初めにはモーナ・ルダオが失踪し、日本側は親日派セデック族を動員し、11月4日までに暴徒側部族の村落を制圧した。モーナの失踪後は長男のタダオ・モーナが蜂起勢の戦闘を指揮したが、12月8日にタダオも自殺した。12月中に鎮圧軍は現地の治安を完全に回復し、戦闘は終結した。
台湾原住民による日本時代後期における最大規模の抗日暴動事件。霧社事件である。

現在は、山間の静かで平和な村である。

埔里鎮に戻り、日月潭行きのバスに乗り換え。
台湾で最も大きい湖の日月潭。しかし、あいにくの雨。リゾート地は何よりも天気が大切である。



雨で寒い中、こんな所にいても気が滅入るだけである。仕方がないので、バスで水里に向かう。


台湾で最も有名なローカル線の集集線に乗車。

終点の車埕までは一駅。しかし、7.3kmと北海道のローカル区間なみの駅間距離である。

休日であるのだが、ローカル線とは思えないほどの賑わいである。列車も6両編成である。特急列車なみの長大編成である。
ローカル線は2両編成がよく似合う。



日本のローカル線以上にノスタルジックな雰囲気を味わえる。集集線。歴史は古く日本時代に開通している。路線距離は二水 - 車埕間で29.7km。
ここは沿線の中心駅である集集駅。日本時代の駅舎が残る。

二水で高雄方面に乗り換え。時間があるので、昼食を食べに町を探索する。


古きよき時代の東南アジアを感じる怪しげな駅前ホテル。


二水から台南に向け、急行列車に乗車。機関車が客車をけん引する。昭和の国鉄末期の東北本線を思い出す。

台南に到着。



台湾の古都台南は歴史とグルメの町である。



食への賑わいにアジアを感じる。B級グルメ的な美味しさである。台南は飲食店が多い感じがする。当然、何を食べても美味しい。



台湾は1回の食事の量が少ないのがいい。夜食にステーキ。900円くらい。でも美味しい。ステーキまでもB級グルメ的な美味しさ。これはやめられない。


台南駅近くの、台湾的な安宿が今夜の宿。帰って寝るだけなら、十分である。台湾で優雅なホテルステイなどした事がない。毎回、待ち歩きを楽しみ、B級グルメに舌鼓を打ち、夜食を食べると既に深夜である。
2日目終了。