しばらく振りに俳句を鑑賞して見たい。
木が売れず木の精霊がよく育つ 松本勇二
句集「風の民」
中学生の頃、山で植林をしたのを思い出した。あの植林した木はどうなったろう。などと。
分校の中学一年生は約40名。各自家から持って来た鍬をかついで学校の裏山へ。
弁当と木の切れ端に書いた名札と六尺の棒を持っている。
目的地へ着くと植林用に笹が筋状に刈ってある。
その筋へ一人づつ受け持たされ、名札を土に差す。落葉松の苗の束を受け取る。
六尺間隔に落葉松を植えて行くのである。六尺の棒はそのための物差しである。
笹の根が固く簡単に鍬は刺さらない。中学一年生には重労働である。女子も同じ仕事である。ただ男子よりは土が柔らかいところが与えられた。
午前中に10本も植えられなかったように思う。
小高い山の斜面からは街がよく見えた。街を割っている根室本線を長い貨車が通て行くのを見るのは爽快だった。弁当を食べながら木苺を取ったりしながらの時間は楽しかった。勉強よりずっと楽しかった。
ここでふっと思い出したのは、私が木苺を取って食べていると友達が弁当箱一杯に木苺を取っている。聞いてみると妹に持って帰るというのである。私にはそいう発想は無かったので、その友達を改めて見直したのを思い出した。
すでにあの落葉松は植えてから70年経つ。まだ切られないで林を作っているのを帰省の度に見ていた。
木が売れずというこの作品に70年前に植えた山を思い出した。
木の精霊がよく育つに鬱蒼とした林を想像する。手入れの行き届いた山は真直ぐに木が育っている。その木の精霊もすくすくと伸びている。そんな思いがする。