【第4回】翔鶴――機動部隊の女王、その気高き戦歴

翔鶴は、加賀や飛龍といった先輩空母とは一線を画す、次世代の空母として誕生しました。
航空機搭載数・航続力・防御力のすべてに優れたバランス型空母として、太平洋戦争全体を通じて数々の激戦を戦い抜いた、まさに“主力中の主力”です。


◆ 翔鶴型空母の誕生

翔鶴は1941年に就役。従来の空母で明らかになった弱点を改良し、

  • 最大搭載機数:72〜84機

  • 速力:最大34ノット以上

  • 防御:空母としては厚い装甲と居住性
    という高性能を持つ、日本空母の完成形とも言える存在でした。

また、妹艦「瑞鶴(ずいかく)」とともに、コンビでの行動が多く、戦歴の多くを“翔鶴型姉妹”として記録しています。


◆ 翔鶴の主な戦歴

  • 真珠湾攻撃(1941年12月)
    瑞鶴とともに空襲部隊の中核を担い、米艦隊を奇襲。

  • 珊瑚海海戦(1942年5月)
    アメリカの空母「レキシントン」を撃沈するも、翔鶴自身も大破し、ミッドウェー海戦には出撃できず。

  • 南太平洋海戦(1942年10月)
    空母「ホーネット」を撃沈。翔鶴は損傷を受けるも再び生還。

  • マリアナ沖海戦(1944年6月)
    通称「マリアナの七面鳥撃ち」とも呼ばれる壊滅的空戦の中、翔鶴は米潜水艦の魚雷を受け沈没。


◆ 名誉ある最期と、その意味

翔鶴は沈没までの約3年間、主要作戦の多くに参加し続けた数少ない空母です。
大破しても何度も修理・復帰し、常に日本の第一線に立ち続けました。
その姿は、「機動部隊の屋台骨」としての責務を最後まで果たした、誇り高き空母の鏡でした。


次回は、翔鶴と常にともに戦い抜いた“幸運艦”――
【第5回】瑞鶴――沈まぬ空母、その伝説
をお届けします。どうぞお楽しみに!