【第3回】飛龍――反撃の魂を宿した孤高の空母
飛龍――その名は、最後まで戦い続けた空母として、今も多くの人々の記憶に刻まれています。
決して大柄ではなかったものの、その柔軟な運用性と驚異的な粘り強さで、日本海軍航空隊の魂を体現した存在でした。
◆ 蒼龍の姉妹艦として誕生
飛龍は1939年に竣工。設計は「蒼龍」の改良型で、排気煙突の位置を側面に移動させるなどの改良が加えられました。
搭載機数は最大73機と中型空母としては十分な航空能力を備えており、整備性や居住性の向上も図られたスマートな艦でした。
◆ 飛龍の主な戦歴
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真珠湾攻撃(1941年12月)
第一航空艦隊の一員として参加。熟練搭乗員による攻撃隊で大戦果を挙げました。 -
インド洋作戦(1942年春)
英空母ハーミーズや重巡洋艦コーンウォールなどを撃沈し、日本海軍の快進撃を支えました。 -
ミッドウェー海戦(1942年6月)
加賀・赤城・蒼龍が次々に被弾・炎上する中、唯一無傷で反撃に出たのが飛龍。
2度にわたる攻撃で、米空母「ヨークタウン」に大破を与えるという偉業を成し遂げました。
◆ 孤軍奮闘、そして炎の中の最期
飛龍の反撃は、日本側にとって唯一の光明となりましたが、直後に米軍機の反撃を受け、飛龍自身も被弾。
艦内の火災が制御不能となり、最終的に味方の駆逐艦によって自沈処分されました。
しかし、飛龍の搭乗員たちは最期まであきらめず、沈む直前まで航空機を出撃させたという記録が残っています。
◆ 「飛龍魂」は今も語り継がれる
飛龍の奮戦は、沈みゆく運命の中でも最後の一矢を放とうとした日本空母の執念を象徴しています。
「飛龍魂」という言葉は、艦だけでなく、乗員一人ひとりの誇りと覚悟を表したものとして、今も多くの資料・証言に残されているのです。
次回は、ミッドウェー以降も戦い続けた新世代空母――
【第4回】翔鶴――機動部隊の女王、その気高き戦歴
をお届けします。どうぞお楽しみに!