F-2開発の舞台裏――それは“政治”と“プライド”のせめぎ合いだった
F-2戦闘機は単なる技術的チャレンジではなく、国家間の駆け引きと誇りをかけた政治的プロジェクトでもありました。
1980年代末、日本はF-1戦闘機の後継として、完全な**国産次期支援戦闘機(FS-X)**を目指していました。しかし、当時のアメリカは日本の防衛産業の独立性に神経を尖らせ、技術移転や共同開発を強く要望。結果として、「F-16をベースにした共同開発」という折衷案に落ち着いたのです。
この過程には、アメリカ議会の圧力や、日本国内の技術者たちの葛藤が渦巻いていました。
「これはF-16ではない。我々のFS-Xだ」
という声が、現場から聞こえてきたのも無理はありません。
日米共同開発の“功”と“罪”
✔ 日本にとっての功
-
AESAレーダーを含む国産アビオニクスの開発
-
炭素繊維複合材技術の実用化
-
島嶼防衛を想定した戦術構築の進化
F-2開発は、後に続く防衛装備の礎ともなりました。とりわけ電子装備や素材技術において、アメリカに頼らず日本が独自に築いた実績は高く評価されるべきです。
✖ 一方で残った“罪”
-
コストはF-16の4倍以上
-
生産機数は当初の予定より大幅減の約90機
-
実戦投入の機会に乏しく、「過剰スペック」との指摘
F-2はまさに、“国家の理想”と“現場の現実”の間で揺れた戦闘機だったのです。
そして次世代へ――F-Xが引き継ぐもの
2020年代、航空自衛隊は次世代ステルス戦闘機「F-X」開発へと舵を切りました。
ここでもF-2で得た素材・電子装備・共同開発ノウハウが生かされています。
F-2は“日本の戦闘機開発の歴史”における橋渡し的存在であり、過渡期の象徴です。
それはきっと、F-1とも、F-35とも、F-Xとも違う、唯一無二の戦闘機だったのでしょう。
次回は、いよいよ“平成の名機”F-2の集大成ともいえる後期型や特別塗装機、訓練運用の実態などに迫ります!
お楽しみに。