【第22回】T-1と幻のF-1 ― 戦後日本の空を拓いた「挑戦の始まり」

戦後、航空機開発を厳しく制限されていた日本。
そんな時代に、再び空へ羽ばたくための第一歩を踏み出した機体がありました。

それが、日本初のジェット練習機「T-1」です。
そしてもうひとつ、今では“幻”となった
国産F-1戦闘機構想
も密かに動いていました。


T-1ジェット練習機とは?

  • 開発: 川崎航空機

  • 初飛行: 1958年

  • エンジン: 最初はイギリス製、後に国産「J3」エンジンを搭載したT-1Bが登場

  • 配備: 1960年〜

  • 任務: 初等・中等訓練、ジェット機操縦訓練

T-1は、戦後初めて国産開発されたジェット航空機であり、
航空自衛隊が「空の自立」を再び目指すための“はじまりの機体”です。


なぜT-1が必要だったのか?

当時、自衛隊はF-86Fなどのアメリカ機を運用していましたが、
そのパイロットを育成する**「ジェット練習機」が不足していた**のです。

輸入に頼るだけでは、技術も人材も育ちません。
そこで国は、“国産の訓練機”を求め、T-1の開発に着手しました。


T-1の功績と役割

  • 日本の航空技術復興の象徴

  • 国産エンジン「J3」搭載のT-1Bは純国産化を進めた象徴的存在

  • 約60機が製造され、長らく訓練に活躍

  • 後継のT-4に役目を引き継ぐまで約40年間運用


幻の「F-1」戦闘機計画とは?

1950年代、T-1と並行して一部の技術者が構想していたのが、
“戦闘機としてのF-1(仮)”開発構想です。

しかし当時はまだ国の体制も整っておらず、
本格的な戦闘機開発は政治的・技術的に困難と判断されました。

結果として、その構想は凍結。
この“幻のF-1”は、のちのT-2・F-1(実戦機)につながる遠い伏線として語り継がれます。

 


日本の空の出発点、それがT-1


T-1がいなければ、T-2もF-1も、そしてF-2もF-Xも生まれなかったかもしれません。
技術・人材・国の意志。すべてが揃って、ようやく飛べる。

その原点こそがT-1でした。


次回予告:日本が世界へ挑んだ“平成の国産機”「F-2」

次回は、F-16をベースにしながらも独自の進化を遂げた、
**日本とアメリカの共同開発機「F-2」**を特集します。

「和製F-16」と呼ばれながらも、
その中身は“F-16以上”とも言われる性能を誇るその実力とは?