【第21回】T-2 ― 国産超音速機の礎、日本が空を自力で飛ぶために
三菱F-1は日本初の実戦用国産戦闘機。
そのベースとなったのが、今回の主役──T-2超音速高等練習機です。
F-1とほぼ同じ見た目を持ちながら、その立ち位置は「練習機」。
ですが、T-2は単なる教習用の機体ではなく、日本の航空技術における大きな一歩でした。
なぜT-2は生まれたのか?
1960年代、日本はF-86FセイバーやF-104Jなど、アメリカ製戦闘機を次々と導入。
しかし、超音速機が当たり前になる中で、それに対応できる練習機が存在しなかった。
「国産で超音速機を育てられるパイロットを養成する」
そのために必要だったのが、T-2でした。
T-2の基本データ
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開発: 三菱重工業
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初飛行: 1971年
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配備: 1975年〜
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乗員: 2名(前後席)
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エンジン: ロールス・ロイス ターボメカ アドーアRB.172(国産ライセンス品)×2
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最高速度: マッハ1.6
T-2とF-1の違いは?
T-2とF-1は見た目がほぼ同じです。
というのも、T-2をもとにF-1が開発されたからです。
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T-2: あくまで訓練機。兵装は限定的。
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F-1: 火器管制装置や武装を加えた実戦仕様。
つまり、T-2は**“F-1の母体”であり、
同時に日本が独自開発した初の超音速機**でもあります。
T-2の技術的意義
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国産で初めてマッハ1.5を超える設計を達成
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安定性と操縦性に優れ、訓練用として最適
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製造・整備も国内で完結
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将来の戦闘機開発(F-1→F-2)につながる「技術の土台」となった
T-2の登場により、日本はついに
「空の自立訓練体制」を自国技術で構築したと言えるのです。
運用と引退
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練習部隊として航空自衛隊に配備
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のちに**T-4(亜音速)**へと交代し、T-2は2006年までに退役
今も航空祭などでは、F-1とT-2を並べて展示する姿が見られることもあります。
そのそっくりな姿に、「親子」のような関係を感じるファンも少なくありません。
次回予告:さらに遡る「幻のF-1計画」と、T-1ジェット練習機
T-2の前にも、日本は「空」を自分たちの力で飛ぶ夢を追っていました。
次回は、**日本初のジェット練習機「T-1」と、
冷戦初期に構想された“幻のF-1計画”**についてご紹介します。
日本の戦闘機史の“はじまりの物語”を、もう一度見つめ直しましょう。