最近は何処へ行くのにもスマホパシャパシャ。
昔は外へ持ち歩くデバイスの使用用途と言えば、これから会う人と連絡したり。
1人から多くて数人のccと対象が少ないメールのメッセージ。
今は常時数十億人が閲覧可能な形での送信となる。容量もメガ単位では収まりきれない。
自分の行動をいちいち定点観測しながら送信するという発想が脳内になかった時のほうが疲れなかったと思う。
記録はいちいちネガを持っていかないとダメなくらいがちょうどよかったのでは?
たくさんのいつでもアクセスできるドキュメントの中で本当に残すべきだったのはどれだったか。選ぶことすらめんどくさい。
そして自分の記録が勝手に他者の記憶が羅列され比較される。
最善を常に求めることは消耗すること。