霊能力を一般的には、霊能力とは、霊(霊魂)や魂、生霊、精霊などを感覚したり、霊的な力を行使して、通常の人間ではなし得ないことを行なうとされる能力のことである。単に霊能(れいのう)と呼ばれることがある。また、ほぼ同意語として神通力(じんつうりき、じんずうりき)、法力(ほうりき)等が用いられることもある。能力と呼べるほど自在に行使できるほどではないが、受動的に霊的なものを感知する感性は霊感と呼ばれる。超心理学の研究対象でもある。霊能力を使う者や霊感が発達している者を、霊能者(れいのうしゃ)または、霊能力者(れいのうりょくしゃ)と呼ぶことがある。

霊能力には何種類かあります。霊視(見鬼) 霊(または神仏)を見る能力。

眼通力(千里眼)遠くの人や物を霊視する能力。

霊聴、霊の声を聴いたり、会話したりする能力。シルバーバーチによれば、霊と人間がしゃべっているときは、声が色付きの光になって「見える」という。

テレパシー!霊聴によって相手が考えていることや感じていることを聞く能力。心霊研究家のフレデリック・マイヤースによって命名された。

霊と交信する能力については霊媒、シャーマニズムを参照。

仏教における霊能力(神通)。詳細は「六神通」を参照。

 

 

 

仏典においては、修行によって集中力を高めた心の力によって、他人の心を知る(他心通)、自分の過去世を知る(宿命通)ことができるなど、一種の超能力が説かれている。これらは神通(abhiññā)と呼ばれる。

霊能者、巫女とイタコ、巫女は主に神託を得るものであり、イタコは、主に死別した身内、先祖との交渉の機会を作るものであるとされている。

私が生まれ育った青森県津軽地方には、数十年前まで恐山霊山を起点に、百人以上の「イタコ」が存在しておりました。

地元では「口寄せ」と呼ばれる。現在では「スピリチャルセラピスト」の役割を担っていた人です。

現在では、「ラストイタコ」と呼ばれる人たち、数人が残っている程度です。

但し、イタコ(霊媒師)と呼ばれる人、多くは女性ですが8割方(霊能力)の低い人たちが従事しておりました。

私の親戚もイタコとして来世にいる人を呼び戻しておりました。

私自身に霊能力があると気が付いたのは、中学生の時に古い小さなお墓から「人魂」が浮遊していたのを見たことに始まります。幼い頃、父親から幽霊を見た、煙みたいに目の前を通り過ぎたとか、火葬場でもそうした幽霊を見ると言っていました。当時は、止めてと怖いと叫んでいたことを思い出します。

ところが、親譲りの「霊能力は遺伝」するということです。

それに気づいたのは、13年前に来世に旅立つその日に、女性の霊魂(思念体)と出逢い、繋がったことから始まりました。その方の魂から憑依されたことで私が「霊的覚醒」に目覚めたように活性化し鋭くなったものです。

 

私の霊的覚醒は「霊視とテレパシー、シルバーバーチ」の霊能力です。

女性からの声は聞こえませんが、気配や写真などを撮影すると「オーブ」などが写ることでメッセージなどが分かるものです。

では、何故?こうした霊能力のある人があの世の人と会話したり、眼通力(千里眼)遠くの人や物を霊視する能力を持ち合わせるのか?スピリチャル能力などの霊能力の能力差は、個人差のようなもので、私のように霊視、テレパシーなどの能力に優れています。私の知り合いの女性は「霊聴、霊の声を聴いたり、会話したりする能力」に優れています。

こうした霊能力は「人の脳の潜在的能力」と考えられています。つまり、普段私たちが使用していない、使われていない、眠って居る脳力が何かのきっかけで「引き出される」と考えられます。

人が亡くなった時、特に死後(臨時状態)の時には「思念体」のエネルギーが強いので、私のところには、亡くなった時のまま、以前には白い服を着た、若い女性で背が高く、おかっぱ髪の女性が怯えていました。それは、自身が亡くなったことが分からない(理解)出来ないから、私に教えて欲しいと訊ねて現れたものです。

では、幽霊(思念体)を見る人と、見れない人の違いは、思念()のエネルギー(波動)の周波数のようなものを受け取ることが出来る人と、出来ない人の差です。

丁度、ラジオの周波数が合うように、思念のエネルギー(波動)が発信機の役割を担い、私の脳(前頭葉)第六チャクラ(眉間)で感じて、脳の視覚野で像として見ている感じです。つまり、普段見ている「目(視覚)」では見ていないということです。ですから、霊能力の低い人には、見えない、聞こえないということです。

何故?私がこうした「霊能力」に優れ「超感覚」を持ち合わせ、霊能力を医学面、科学的根拠で詳しくも説明出来ます。それは「自身の体験」に基づく研究に励んでいるからでもあります。センスプロデュース研究所、葛西行彦