六根清浄の意味は、六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間に具わった六根を清らかにすること。

六根とは、五感とそれに加え第六感とも言える意識の根幹である

眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)のことである。

六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言う。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。「六根浄」ともいう。

今日、剣山では白装束に身を包んだ信者が登山の際の掛け声として連呼しており、また、落語の「大山参り」などではその様子が描写されている。現在でも扶桑教では富士への登拝中は「六根清浄お山は晴天」と歌っている。これは高山病にかかりにくくする効果もある。

登山の際に用いられた結果、音便化し「どっこいしょ」になったという説がある。

六根浄とも。仏教で,身心に功徳が満ち自在に働けるように,感覚と認識の基礎となる眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を清浄にすること。真言宗や富士講では,登山などに際し,これを称して,安全を祈る。天台宗では《法華経》に基づいてこれを修行の位とし,六根清浄位という。

 

 

 

私が長年の「感覚研究」に取り組んでいるのは、この「六根清浄」が基になっています。人の五感という言葉は、仏語から来ている。五感という呼び方は日本だけであり、世界的には「感覚」(sense)センスと捉えます。

私がこの六根清浄の研究に励むようになったのには、切っ掛けがあります。

1980年代に流行したテレビゲーム「インベーダーゲーム」が大流行しました。

それに伴い子供たちの感覚に「異変が生じ」「感覚異変」と名付け、警鐘を鳴らしたことから始まります。

当時、喫茶店などにテーブルゲームが並び、インベーダーゲームに嵌る人たちで溢れていました。そんな中に子供たちの姿も目立ち、小遣いを使い果たし、それでもゲームをしたい中学生が、小学生から小遣いを巻き上げる(カツアゲ)が社会問題にもなりました。

後に「ゲーム脳」など(ゲーム依存症)などと呼ばれるようになり、外で遊ばない子供たちが急増したものです。

同時に「自己の感覚に異変」が生じて、それに伴い子供たちや少年犯罪も急増し始めたものです。

 

 

 

それを警戒し、感覚異変に対して私は「警鐘を鳴らし提唱」したものです。

無名の研究者には、世間は耳を傾けず、独り言のように扱われました。

それでも私は諦めることなく、私の感覚研究は「子供たちの感覚を護ることになる」と確信し、提唱し続けて来たものです。

そんな中、20075月の朝方に不思議な魂の繫がりを体験しました。来世に旅立つその日に出逢い、繋がった方の導きにより、私の感覚研究が世間から注目されるようになったものです。

その年の7月に神戸のKissFMラジオから「五感ウィークの最終日」に出演して欲しいとの電話取材があり、電話出演を果たしました。私のマスコミ初出演を果たしたものです。

これらをきっかけに、その年の9月には、フジテレビの「めざましテレビ」でワサビと味覚について、解説出演をしました。

長年の感覚研究に取り組んできて、丁度私が50歳の時でした。意味ある出演でした。

後に、5月の朝方にその方の魂と繋がった方から「行彦さんの研究」はもっと世間に知られるべきなの・・・そうしないと子供たちが可哀そうとメッセージされたことがあり、その方が私の研究をマスコミ等に紹介してくれたのだと思いました。導いてくれたのがそうでした。

その後も、テレビ、ラジオ、専門雑誌、女性雑誌、インターネットの恋愛コラムを担当したり、全国のテレビ局からの問い合わせや取材も現在も時々あります。

こうして、私の研究が世間(マスコミ等)から注目され「六根清浄」が大切で重要なことが世の中に知れ渡ったものです。

今後とも、「六根清浄」を推進して参ります。

センスプロデュース研究所、葛西行彦