千年前の日本と言えば、今から1000年前の寛弘8年(1011)は平安時代後期に入り、藤原道長の全盛期です。

また、この頃は貴族がつくりだした王朝文化が花開いた時であり、清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語、和泉式部の「和泉式部日記」の平安時代を代表する文学作品が登場するなど、後世に名を残す女流文学者が活躍した時代でもありました。

この前年の寛弘7年(1010)は、道長が東三条殿に書棚をつくり、書籍2000余巻を収納しており、またこの頃には紫式部の「紫式部日記」の記述が終わったといいます。そして寛弘8年(1011)には一条天皇が病気のため居貞親王(おきさだ、三条天皇)に譲位し出家、法皇となって崩御しています。

千年前と言うとご自身のご先祖も十数代以上前の時代です。

これらの歴史を知るのは、文献などの文字でした得る情報はありません。明治初期頃から写真などの情報はありますが、こうしたことから千年前の日本のことは知られているようであまり知られていません。

せいぜい、歴史学者が解説してくれることで私たちは千年前の日本を知ることは出来ます。

 

 

 

※源氏物語!

『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた。

下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた。

なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている。

 

 

 

この源氏物語は、恋愛小説の歴史上、最も古いものと言われています。

こうしたことから「千年変わらぬものは()である」。と私は思っています。

現在、2020年も1018年も時代は千年経っても、愛だけは変わらない!

人が人を愛することを意識し「愛だと感じる」ことが出来たのは、この頃の時代からだと思われます。

それ以前の5000年前以上の時代にも人を愛することはあったと思いますが、愛と言う言葉や文献などが残されていないことなどもあり、子孫繁栄の生物学的な恋愛だったからです。

 

 

 

 

 

スマホやパソコンなどのツールが無くても、電気や自動車が無くても、千年の前の世界には「愛が溢れて」いたと想像出来ます。そんな中で紫式部が「源氏物語」の長編小説を書き上げたものです。愛に溢れた人だから、きっとソウル繫がりしたのだと私は想像します。

出来るものなら!紫式部の魂と繫がり、当時の想いを聞きたいものです。

センスプロデュース研究所、荒木行彦