五感プロデュース研究所、-cp

私が高校生の時は地元でも、私立のレベルの低い高校で、授業料は高かったのですが、何より、私は靑森県でも数少ない。「情報科目」という、当時(1974年)田舎に、最先端のコンピュータが学校にあり、また、当時、日本では珍しいFAXもありました。通信料が高いので、隣の教室を結んでいました。やたらと時間が掛かった思い出あります。だから、その私立の高校を選んだのです。
当時のコンピュータは、当時の価格が200万円以上し、超高額でした。
当時からすると、現在、私たちが使用しているノートパソコンなどは「スーパーコンピュータ」に匹敵します。当時の記録媒体は「コンピュータの記録媒体がパンチカード(厚紙に穴を開けて情報を記録する)」また、フロチャートを作成するために、テープに5進法のパンチ穴を開けて、それを読み取ります。印刷も、巨大な紙に文字や点字のような絵などの程度しか印刷出来ませんでした。勿論、白黒です。中でも、文化祭の時に、私がチームリーダーになり、コンピュータ占い。当時の心理学の本を読みあさり、これらをデータに、健康、恋愛、学校などの項目を作り「バイオリズムカレンダー」を一回、100円で作成、販売し、大好評で列が出来て、可成りな売り上げがありました。当時文化祭で焼きそばが50~100円で販売しておりましから、ぼろ儲けでした。結局1万5千円ほどの売り上げがあり、当時として、コンピュータを扱う人「ミスタープログラマー」とあだ名されたほどでした。ここ40年の間にコンピュータは、記録媒体は、MB(メガビット)、GB(ギガ)から(TB)テラバイト、1000GB以上と莫大な容量が保存も、再生も出来ます。便利で簡単、そして、何でも出来るという、恐ろしいほど便利になりました。
私の自宅から世界中の人たちとアクセス、インターネット、そして、フェイスブックと媒体がどんどん進化し、進歩して行きます。但し、これらに依存する。頼り切るという感覚に私は「NOを提示、警鐘を鳴らしています」。コンピュータの良さも、怖さも理解出来ます。私はコンピュータと共に、高校生の時に扱ってから、すでに37年以上技術の進歩を確認してきました。今後もコンピュータは進化し、進歩し続けるでしょう。そのうちに「ブレインコンピュータ」人のようにニューロン(脳神経)を持ったコンピュータ、コンピュータ自身が学び、記憶して行く、ヒューマン型コンピュータの開発、研究も一部始まっています。これらが人工知能として未来型ロボット、ヒューマンロイドと言われるタイプのロボット開発などに繋がるのです。私が生きて居る間には、完成すると思われます。
未来に向けて、私たちは研究に励んで居るのです。
五感プロデュース研究所、主席研究員、荒木行彦、